葛貫です。
広木さん:
> 「自由意志」って...なんでしょう?
物質的、文化的な環境から主体が獲得した自由度、選択肢の幅の
ようなものが関与するものでしょうか。
> ただ、「ミーム」なる言葉を持ち出さなければならない必然性は、
> 全然感じません。
はい、そう思います。
> 情報を受け取った後に想起する内容は、ひとそれぞれでは?
そうでしょうか。
【3030】葛貫:
>> 空調の効いた施設内で、同じ物、同じ情報に囲まれて生活して
>> いると、長い時間が経過するうちに、同じような精神・心を持つ
>> ようになってしまうのかな。
広木さん:
> そんな事もあり得るかも知れませんね。でもないかも知れない。
> どの程度同じか、っていう問題ですが。
与えられる情報や環境が画一化された場合、どうなるのかなと思い
ました。恐ろしく貧困な選択肢しか思い浮かべられないのに、自由
意志を行使したということになってしまうのかもしれないですよね。
> 人間は環境からの影響から逃れる事は出来ません。
> それが物質的なものであれ、文化的なものであれ。
はい。そうなのだと思います。
> 「他人に踊らされている」、結構な事じゃありませんか。
> 踊らされて楽しければ。
踊らされているかもと思うだけで、たまらなく不愉快なんです(笑)。
踊らされて楽しくない場合、どうしたらいいのでしょう。
広木さんに、文句言っても仕方ないんですけれど、何か良い知恵を
お持ちではないかと・・・。
#楽しい間は、踊らされているとは思わないのでしょうね。
#踊らされていると感じ始めたとうことは、躍らせているものの
#存在を認識し、他の選択肢を考え始めたということになるのかな。
> もっとも、長期的な利益の判断が出来ないと、
> 痛い目にあうんですけどね。
遺伝子情報と文化情報は独立に利己的な複製を行っており、遺伝子
が抑えを効かせている紐の先で「文化」というイヌが遊んでいると
いう構図は幻想なのかもしれない。
遺伝子が文化を飼っているとは限らない。
何をもって長期的な利益があったとするか、という問題もありますが。
【3108】で紹介した「ミーム・マシーンとしての私 上・下」
(スーザン・ブラックモア著、草子社)の書評が
http://www.cpm.mmu.ac.uk/jom-emit/2001/vol5/boyd_g.html
にあるようです(英語)。
小宮さん、経済用語のサイトの紹介、ありがとうございました。
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