後藤@帯畜大さん みなさん
須賀です。
人間はまねするのがスキな動物ではないでしょうか。
子どもがことばをおぼえるときのことを考えるとそんな
気がします。そういうまねをつうじて意識もかたちづく
られていくわけで、そのこと自体をおそろしいことだと
は思いません。
ただ、まねするのがスキ、という僕たちの習性は、
ほとんど自覚することができないくらいふかく僕
たちの習性に根をおろしているので、社会現象と
してはおそろしいあつれきをうむことがあります。
僕がおそろしいと思うのはそのことです。
> 須賀:
> > ただそこで起こっている出来事そのものは生身の個人にとってそれ
> > だけですまないおそろしさをふくんでいる。そのことを表現したい
> > という気持ちは、僕にはよく理解できます。
後藤さん:
> さすがに「気配りの須賀」、面目躍如たるものを感じました。でも、何
> が恐ろしいのか、僕には理解できない。鈍感だなぁ。
「えん罪」「流言飛語」「いわれのない蔑視」などは
どうでしょうか?
後藤さん:
> ドーキンス「利己的な遺伝子」には、【しかしわれわれには、こ
> れらの創造者に刃向かう力がある。この地上で唯一われわれだけ
> が利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのだ。】とあ
> りますが、完璧な誤解ですね。
> ・・・【3095】でも指摘しましたが、ドーキンスは、人間は
> 本来(遺伝的プログラムとしては)、行動特性として、
> 「純粋に」利己的である、と考えており、利己と利他の矛
> 盾としては捉えていません。つまり、愛情もない、と考え
> ているわけです。で、それを「叩き込め」というとんでも
> ない指針を導いているわけです。
そうかなあ。別のコンテキストでよめばそれとはちがう
よみかたもできると思いますよ。
Takeshi SUKA
Nagano Nature Conservation Research Institute (NACRI)
E-mail: suka@nacri.pref.nagano.jp
(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。