[BlueSky: 3000] Re:2986 パラダイムとして。 


[From] "akira " [Date] Tue, 27 Feb 2001 12:58:13 +0900

こんにちは、akiraです。

akira:
> > これは極めて単純化した例ですが、このような、大げさに言えば
> > 生理・生態・社会の三次元を貫く『原理的普遍性』とでも言えるものが、
> > 明らかに存在すると思うのです。
須賀さん:
> 僕が疑問に思うのは、これらをたとえば「クラスのあいだの
> 認知」の話としてひとくくりにできるのは確かだとしても、
> それはこれらのあいだに共通性をみいたしているakiraさんや
> 僕の環境認知のパターンそのものに依存していて、現象自体
> の側に共通の内在的なメカニズムがあるとはいえないのでは
> ないかということです。
>
> わかりやすくいうと、肝細胞どうしがあつまるのとヤクザ
> どうしがあつまるのとでは意味がちがうんじゃないかと。

ヤクザを例に出したのは不適当でしたか(笑)

細胞学(医学・生理学)との関連については取り合えず置いておいて・・・

例えば、ぼくら日本人が、中国人や韓国人を目の前にして、彼我の服装に
ほとんど差異がなく、言葉を聞いたわけでもないのに感じる違和感、なんとなく
彼らは日本人じゃないな、と感じたまさにその瞬間に脳内で現象している神経
パルスの興奮と、マイルカがバンドウイルカと遭遇した時に、仲間ではなく他者
であると認知した時の脳内神経パルスの興奮は、極めて似通っている、と
思いますよ。少なくとも同じ哺乳類同士なら、クラスの間の認知において、現象
それ自体の側に共通の内在的メカニズムがあると言えませんか?

20世紀後半の生態学の大きな成果に、いわゆるサル学、があります。これは社会
生物学とも密接に連携していたはずですが、そこにおいて明らかにされたサルの
人生模様?は驚きに満ちたものでした。

研究者が取り入れた方法論は、文化人類学的手法を用いて、サルの生態を
記述していく、と言うものでした。そして、それは大きな成果をあげました。
そこに共通する内在的メカニズムが存在するから、社会学を生態学に応用できる。
違いますか? ぼくはただその発想を逆転させただけなんですよ。

そして・・・

ある種の粘菌類は、ふだんは単細胞のアメーバ状個体として、単独に生活して
いますが、環境条件が整うと遺伝的に近しい者(だったかな)同士があつまり、
群体を形成します。そして群体内の細胞間で機能の分化が起こり、生殖器官と
消化器官、運動器官などをそろえた、あたかも多細胞生物のような存在に
変貌します。
彼らはどのような方法でコミュニケーションをとっているのでしょうか。
それは、お互いに細胞膜を介して物質をやりとりすることによって、他者を認知し
『話し合い』をしながら群体を形成し、機能分化を行います。そしてこの話し合い、
膜を介した物質のやりとり、によって、常に体内の細胞達は情報をやりとりして
います。

細胞選別の時にどのようなメカニズムが存在するのかは忘れましたが、そこに
膜を介した物質の代謝が関わっているのは間違いないと思います。細胞膜を介
した物質のやりとりによって、その物質特有のレセプターの活性が変化し、それが
細胞の運動にスイッチを入れる。実は人間の脳内でも、神経細胞のシナプシスに
おいてまったく同じメカニズムが働いています。

そして、我々多細胞生物は単細胞生物が作った群体から進化した、と言われて
います。赤血球など一部の特殊化した細胞以外、すべての体細胞が核を持って
いる。この事実は、多細胞生物の個々の細胞が、本来的には単細胞生物として
独立して生きる潜在力を持っている証拠です。
(余談ですが、ミトコンドリアも独自のDNAを持っていると言います。これはミトコン
ドリアが本来個体として存在していたものが、進化の過程で共生した結果らしい)

バクテリアからヒトまで、生命が環境世界や他者を認知し行動するというプロセス
には、共通の内在的メカニズムが存在している。そうは言えないでしょうか。

すべての生命は思考しています。脳ができたから思考できる様になったのではなく
生命が本然的に思考する存在だから、脳が進化したのだ、と考えるべきでしょう。
人間は確かに脳で考える。ヤクザさんも脳で感じて仲間うちで集まる。けれどその
脳内の細胞レベルで起こっている現象は、本質的には、ゾウリムシが行っている
思考とたいして変わりがありません。

人間は生命進化40億年の結果として今現在ここにいるのですよ。たとえどのような
レベルであれ、そこには一貫した共通する内在的メカニズムが存在しませんか?


須賀さん:
> アメリカ的な民主主義も自由主義の経済思想も、その根本
> には、多くのひとびとによってえらばれるものがいいものだ、
> あまりよくないものはその途中で淘汰されてしまうが結果的
> にはそれが最大多数の最大幸福につながる、というような
> 発想があるのかもしれませんね(しろうと考えですが)。
> 問題はそれにかわるどんな代案があるかということです。

ぼくが今回の発言で行っているのは、『ヒト生態学・社会生理学(自称?)』の視点
から、科学的に歴史事象を解明・分析することであって、代案を提示するものでは
ありません。まず第一にやるべきなのは『事実関係を明らかに認識する』という
ことではないですか? 診断がつかないのに治療はできないでしょう。
その後に初めて、まっとうな代案が建設される。それをやるのは政治であり、
みなさんを含めた社会、でしょう(もちろんぼくも考えます(笑)

なによりも、ヒトを科学する、という視点を確立する。これが、環境問題や戦争に
ついて考え、そしてそれを解決していく上で絶対に必要な態度だと思っています。
ヒトは決して特別な生き物ではありません。ゾウリムシと同じように、シャーレの中
に横たえるべきでしょう。

> 文化の多様性をまもり、多数派は少数派の利益を尊重
> する、という考え方もしだいに支持をひろげているのでは
> ないでしょうか。それでも社会の動きは前の時代からの
> 「慣性」みたいなものにひきずられますからすぐにかわる
> わけではないと思いますが。

> 文化の普遍性と多様性をどう両立させバランスをとるのか
> というのはむずかしい問題です。でも多様性を尊重しよう
> という発想には普遍的な声になりうる可能性があるんじゃ
> ないかなということに僕は希望をもっています。地球上の
> 自然環境や文化に多様性がみられるという事実はだれに
> も否定できないと思いますから。

以下はThe i-N Gazette No.11−2 2001.2.21号、
『カブール・ノート』No.8 ―ネイビーブルー・チルドレン―●山本芳幸さん
からの引用です:

世界銀行によると、世界のもっとも裕福な人、200人の資産を合計すると、
もっとも貧しい人、20億人の資産の合計よりも多いそうだ。世界の約三分の一
の人口と200人・・・?これは確かに現在の話で、古代ローマやエジプトの話
ではないのだ。明確に貴族と奴隷が区別されていた時代と現在のどちらがまし
なのか判定できないではないか。歴史の教科書は世の中はだんだん平等に近
づいてきたという印象を与えてくれたはずだが、あれはどうなった?

指標をもう一つ。海外投資は過去2年で7倍も増加した。そう、世界は一つに近
づいているのだ。グローバリズムはかけ声だけではない!?
確かに。しかし、海外投資の70%は裕福な国どうしの間で行われている。20%
はたった8つの、民主的というよりほとんど独裁的な発展途上国に流れてい
る。そして、残りの10%がもっとも貧しい100カ国に分散されている・・・
こういう数字は特権クラブの繁栄を示しているだけにしか見えないが、それを
グローバリズムと呼ぶのだろうか。
(引用終わり)

この記述は、もちろん著者独自のバイアスのかかったものでしょうが、基本的な
状況はおさえていると思います(怠け者なので出典を確認してはいません(^_^;)

これがアメリカン・ミームによる単純化、その「現在進行形」の現状だとしたら、
それは決して、『慣性』などという生易しい代物ではないと感じますが・・・
8つの発展途上国におけるマイノリティと、10%の貧しい国において、
今この瞬間も、『多様性』が駆逐されていなければいいのですが。

akira:
> > そして、さらに極めつけは、その怪物的生態(名付けて貪欲!)は、ミーム
> > として輸出され、他の文化圏をも怪物化し、全人類を慎ましい孤独相から群
> > 生相へと変貌させるとしたら・・
須賀さん:
> 興味深い仮説として拝聴しておきます(笑)。
> ただ、逆の意味で人種差別的な話にならないように
> 気をつける必要はあるかもしれませんね。
> この仮説がある意味正鵠をえているとしても、解決は
> その貪欲ミームにかわるつつましいミームをうけいれて
> もらい、それによって文化変容をうながすことにあるの
> でしょうからね。
>
> いかがでしょうか?

須賀さんて、『おとな』ですね(笑)

第一に、『アメリカ』という絶対的なマジョリティ・強者の生態を科学的に解剖する
に際して、『差別』という言葉をもってしてそのブレーキとする、そんな態度は、
科学者らしからぬ『政治的配慮』だと思います(笑) 環境問題とは人間の生態・
その歴史的な集積、がもたらした結果ですから、人間の生態史についてまず科学
的なメスを入れる、のが当然の手順だと考えます。

ぼく個人としては『アメリカ』は大嫌い(笑)ですが、少なくとも科学的な思索にお
いてはそのような感情に曇らされず、事実関係を客観的に抽出する、という態度
を保持している、とは思っています(反論歓迎!)
ただ、このMLは論文雑誌ではないので、やはり個人的なカラーは色濃く出したい
ですね(^_^;) そのほうが読むほうも面白くないですか?
そんなわけで、表現に関してはよろしく御寛恕のほどを<(_ _)>

アメリカというサンプルは非常に優れていると思います。その歴史資料の多さ、
確実さ。そして、現在進行形の言動が世界に与える影響や、それに関する情報
の多さ、において、もっともアプローチしやすいものでしょう。

そして、アメリカの近・現代史において生態学の『異常発生』という概念を導入し、
その生態を『競争的排除』『孤独相』『群生相』というキーワードで解剖すること
によって得られた知見は、ひとつのパラダイムとして,他の民族・文化・国家に
おいて同じように起こった、『冷徹な意志を伴った集団的組織的大量殺戮』
について考察する時に、極めて有用だと考えます。

戦争は人の心を狂わせる。よく言われる言葉ですが、それは単なる『狂気』など
ではなく、ある条件が揃った時に顕在化する、人間固有の『群生相』、つまり、
『プログラムされた一適応型』、である可能性すらあります(悲しいことですが、
その証拠に『アメリカ』は明らかに、繁栄している!)

ナチス、ポルポト、旧ユーゴ、文化大革命、アフリカ諸国の内戦と民族浄化・・・
これらは恐らく、同じ原理に突き動かされて、現象しているのかも知れない。
そして、すべての原理が明らかに『自覚』されれば、それを防止することも、
いずれ可能に成るはずです。


それでは。   akira






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