[BlueSky: 2986] Re:2983 集合生物 


[From] "suka" [Date] Sun, 25 Feb 2001 16:18:51 +0900

akiraさん みなさん

   須賀です。

akiraさん:
> 須賀さんが社会生物学、中でも昆虫生態学がご専門とは
> つい最近迄知りませんでした。

昆虫生態学のなかで社会生物学にあたる分野の研究を
していたのは大学院でブラブラあそんでいたころです。
(でも社会生物学をやってるというと極悪人のように思わ
れることも多いので、同じ意味ですが行動生態学をやって
ると称してしました。自分が善人だとまでいうつもりはあり
ませんが、極悪人というほどではなくてせいぜい悪人ぐらい
です。) 「自然保護」を公務で研究するのが仕事になった
今では保全生態学が専門です、といわなくちゃゆるして
もらえないのかもしれませんね(努力中です)。

akiraさん:
> 卒論を書くころにはひとつのイメージというものが生まれていて、
> それは ⇒ 細胞社会学(医学・生理学)と生物社会学(生態学)
> とヒト社会学に原理的普遍性は見いだせないのか? でした。

面白いですね。ここだけをよむと「すみわけ理論」の今西錦司や
構造主義生物学の柴谷篤弘を連想します。でも原理的普遍性
のなかみがちょっとわかりにくかったです。

> それは例えば、個々の細胞はそれぞれ固有のアイデンティティを
> 持っています。肝臓細胞と腎臓細胞をすりつぶして混ぜ合わせても
> 時間が経てば、肝細胞は肝細胞同士、腎細胞は腎細胞同士集
> まって固まりをつくります(細胞選別)。

これは生理的な個体発生の話ですね。

> マイルカとバンドウイルカ(だったかな)は非常に似た生態を持ち
> 分布も重なるのですが、野生状態ではまず、交雑することはあり
> ません。それは多分、自分は彼らとは違う、という言葉にならない
> アイデンティティが確かに存在しているからだと思います。

これは種分化や種間の認知の話でしょうか。

> 人間社会でも、様々な職業・階級・経済ステータスなどにより、明ら
> かな棲み分け、がなされているはずです。平と重役、ホワイトカラーと
> ブルーカラー、知識人と肉体労働者、ヤクザと堅気など・など。

これは文化とか階層、階級による帰属意識の話といったら
いいのでしょうか。

確かにどれもひろい意味でのクラスのあいだの認知の話
ですね。

> これは極めて単純化した例ですが、このような、大げさに言えば
> 生理・生態・社会の三次元を貫く『原理的普遍性』とでも言えるものが、
> 明らかに存在すると思うのです。

僕が疑問に思うのは、これらをたとえば「クラスのあいだの
認知」の話としてひとくくりにできるのは確かだとしても、
それはこれらのあいだに共通性をみいたしているakiraさんや
僕の環境認知のパターンそのものに依存していて、現象自体
の側に共通の内在的なメカニズムがあるとはいえないのでは
ないかということです。

わかりやすくいうと、肝細胞どうしがあつまるのとヤクザ
どうしがあつまるのとでは意味がちがうんじゃないかと。

どうも斬新な発想をつまらない常識でなしくずしにして
しまうようですいません。

でも以下の話しは、遺伝情報あるいは文化情報の
淘汰のプロセスという共通原理をだされていますね。

> 確かに国家は繁殖したりはしません(笑) けれど、この原理的普遍性
> という視点から、例えば『グローバリズム』を見ると面白いお話が成り立ち
> ます。
>
> 生物個体が繁殖によって世界に広げていくのは遺伝情報です。
> けれど、国家や様々な集団が広げていくのはミーム、つまり文化情報です。
> その情報とは、例えばアメリカを例にとれば、それはアメリカ的な生き方、
> 考え方、価値観、などでしょうか。

生物多様性の保全と同様に絶滅の危機にある言語の保全
も最近大きくとりあげられるようになってきましたね。

アメリカ的な民主主義も自由主義の経済思想も、その根本
には、多くのひとびとによってえらばれるものがいいものだ、
あまりよくないものはその途中で淘汰されてしまうが結果的
にはそれが最大多数の最大幸福につながる、というような
発想があるのかもしれませんね(しろうと考えですが)。

問題はそれにかわるどんな代案があるかということです。

文化の多様性をまもり、多数派は少数派の利益を尊重
する、という考え方もしだいに支持をひろげているのでは
ないでしょうか。それでも社会の動きは前の時代からの
「慣性」みたいなものにひきずられますからすぐにかわる
わけではないと思いますが。そしてそれらの多様性尊重
の考え方が支持をひろげるプロセスもミーム(文化情報)
のあいだの競争として記述されてしまうかもしれないという
逆説がありますね。

文化の普遍性と多様性をどう両立させバランスをとるのか
というのはむずかしい問題です。でも多様性を尊重しよう
という発想には普遍的な声になりうる可能性があるんじゃ
ないかなということに僕は希望をもっています。地球上の
自然環境や文化に多様性がみられるという事実はだれに
も否定できないと思いますから。

akiraさん:
> さらに踏み込んで、須賀さんの専門にからんで、ひとつの仮説があるのですが。
>
> 昆虫の世界では、異常発生というのが報告されています。
   ・・・(中略)・・・
> 多分、このような現象・原理はブラックバスなどの魚類にも当てはまるのではない

> と思うのですが、ひょっとして、人間にも当てはまりませんか?
   ・・・(中略)・・・
> そして、さらに極めつけは、その怪物的生態(名付けて貪欲!)は、ミーム
> として輸出され、他の文化圏をも怪物化し、全人類を慎ましい孤独相から群生相
> へと変貌させるとしたら・・

興味深い仮説として拝聴しておきます(笑)。
ただ、逆の意味で人種差別的な話にならないように
気をつける必要はあるかもしれませんね。
この仮説がある意味正鵠をえているとしても、解決は
その貪欲ミームにかわるつつましいミームをうけいれて
もらい、それによって文化変容をうながすことにあるの
でしょうからね。

いかがでしょうか?




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