[BlueSky: 2947] 血縁淘汰・互恵的利他性 Re:2943


[From] "SUKA, Takeshi" [Date] Wed, 21 Feb 2001 22:31:44 +0900

葛貫さん、みなさん

   須賀です。

> 須賀さん、【2821】で、
> > 人間の社会の進化を説明するのに、血縁淘汰説はどのくらい
> > 役立つとお考えですか? と。
> > ハミルトンさんは、きみにどんなことばをえらんで話したらいいか、
> > ちょっと考えさせてほしい、といいよどみながら、
> > 人間の社会の進化には、血縁淘汰よりも互恵的利他性の
> > 進化のしくみの方が重要な役割を果たしてきたと思う、
> > という趣旨のことをおっしゃいました。
> と書いていらしたのに、
>
> > まあ、今、一番過剰にあるのはヒト資源で、産まない選択と
> > いうのは、もう既に産み終え、遺伝子を残した者にとっては、
> > ありがたい、と言えるのかもしれません。
> は、不愉快な表現だったと思います。ごめんなさい。

葛貫さん、ありがとうございます。でも僕には不愉快じゃ
ありませんでしたよ。葛貫さんがそういう悪意をおもちの
方じゃないということを僕はよく知っていますから。

ところで、「血縁淘汰」とか「互恵的利他性」なんて説明
ぬきでいわれても意味がわからない方もいらっしゃるんじゃ
ないかな、という親身なご指摘をある方からいただきました。
確かにそうかもしれません。というわけで、以下はこれらの
ことばの説明です。

といっても自分のことばでまちがいなく説明する自信がない
ので教科書を引用してしまおう(笑)。

まず「血縁淘汰」(kin selection)から。

「ある個体が他個体の手伝いをする例として最もよく知られて
いるのは、もちろん親による子の世話である。シジュウカラの
親がヒナのために懸命に餌を運んでいるのを見ても誰も驚かな
い。自然淘汰は将来の世代への遺伝的な寄与を最大にするよう
な個体の行動を有利にするだろう。シジュウカラのヒナは親の
遺伝子のコピーをもっているから、この親による子供の世話は、
遺伝子の観点からみれば利己的な行動と言える。・・・(中略)
・・・さて同じ親からの遺伝子コピーは、子供だけでなく他の
血縁者たちにも共有されている。・・・(中略)・・・親が子
の世話をすることで、自分の遺伝子を増やすことができるのと
同様に、兄弟・姉妹やいとこや他の血縁個体の世話をすること
でも、遺伝子を増やすことができる。・・・(中略)・・・
子孫以外の血縁者の生存や繁殖の確率を高める行動が有利に
なる過程は、血縁淘汰(kin selection)と呼ばれる(Maynard
Smith 1964)。しかし子孫を助けることで得られた遺伝子の
コピーと兄弟を助けることで得られるものとは、進化に関する
限り、まったく差がない。」

次に、「互恵的利他性」(reciprocal altruism)です。

「利他行動の受け手への利益が与え手へのコストを上回り、
しかも後になってからお返しがある場合についてはいつでも、
両方にとって得になる(Trivers 1971)。例えば今日、A
がBを助けるなら、明日はBがAを助けるというふうに、互
恵的行動は人間社会では一般的であり、貨幣や法律はその
使用を調節するためにある。動物集団の中で互恵的行動が
進化することに対する問題点は、騙しの可能性である。ある
個体が利益を得てから他方がそうするまでの間に時間の遅れ
があるために、BがAからの助けを今日受けたのに、明日に
なって助け返すことを拒否するかもしれない・・・」

引用はどちらも、J.R.クレブス、N.B.デイビス『行動生態学
(原書第2版)』山岸哲、巖佐庸 共訳 蒼樹書房1991年.
からです。

この血縁淘汰の過程が生物界における利他行動の進化を理解
するのに重要であることを発見し、それにつづく多くの研究
のきっかけをつくられたのが、わたしが【2821】でお話した
ハミルトンさんでした。

さて、うえに引用したような文をおよみになるときに気を
つけていただきたいことがあります。それは、たとえば
「遺伝子の観点からみれば利己的な行動」といった表現が
あくまで比喩としてつかわれているということ、そして
動物の行動や進化の研究者はそのことをきちんとわきまえて
つかっているということです。遺伝子には「意識」はあり
ません。だから何かはっきりした悪意をもって人間の脳を
あやつっているというわけではありません。あくまでも
進化の結果をあとからみたときに、なぜ「利他的」な行動
進化しえたのかを説明しうるモデルとしてだされている
アイデアの説明です。実際には数式をつかって表現するの
ですが、ことばで表現するときにはあまり正確ないいまわし
をつかうとかえって意味がわかりにくくなるので、こうした
表現でわかりあうという習慣があるわけです。もっとも
ことばには多義的な意味があるので、それが誤解のもと
にもなり、ややこしい問題も発生するのですが。

もうひとつよくある誤解に、こうした議論が人間の行動や
習慣についての「遺伝子決定論」だというものがあります。
こんなふうに遺伝子で決まってしまうと、教育や社会改革
などによって問題を解決したり状況を改善したりすること
にのぞみをもてなくなる、ときびしく批判される場合が
あります。しかしうえのような議論はかならずしもそういう
ことをいっているわけではありません。うえの議論は、
生物の繁殖をつうじて世代をこえて遺伝子がどのように
うけわたされるのか、という話です。受精卵からひとり
ひとりの人格がどのようにかたちづくられるのか、という
話ではありません。また、これは人間に焦点をあてた話
ではなく、多様な生物の生態をどう説明するかということ
が関心の中心にある話です。

さいごに、これらはあくまで人間が自然界の多様な現象を
理解する際、おたがいにことばでコミュニケーションする
ための単純化された理解のパターンです。実際にはこれら
のことばの印象からイメージされるよりもずっとさまざま
なみえかたをする現象が自然界にはあります。ですから、
たとえばハチの社会の進化に血縁淘汰が深く関係している
ということがまちがいでなかったとしても、そのことと
矛盾はしないかもしれないけれども、この概念だけでは
説明しきれないような多様な現象がハチたちの社会にも
みられます。

まして人間の社会のこととなったらどうなるでしょう?

長くなってごめんなさい。
疑問点などがあれば遠慮なくご指摘ください。
それではまた。










Takeshi SUKA
Nagano Nature Conservation Research Institute (NACRI)
E-mail: suka@nacri.pref.nagano.jp


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。