[BlueSky: 2838] 「禁じなければいけない遊び」


[From] "gengorou" [Date] Mon, 5 Feb 2001 01:05:50 +0900


ゲンゴロウです。
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葛貫さんに,甘えて,
環境問題とは,まったく違った話をさせて下さい。。

【葛貫さん】
>優しいゲンゴロウさんを、泣かせちゃうかもしれないけれど、
>映画の「禁じられた遊び」は、死を悼み、お墓をつくって上げる
>「優しい私」を演じる心地好さを知ってしまった子供が、小動物を
>殺し、お墓をつくり続けるの話だったような気がするのですが・・・・。

私,あの二人の子どもは,なんであんなに,たくさんの
墓を作り始めたのか,分かりませんでしたし,まだ分かっていません。

映画の話をしてしまいますが,,,
父親と母親と女の子が橋の上を歩いているとき,
飛んできた戦闘機の機銃掃射に三人は地面に身を倒しました。
飛行機が去り,しばらくして親の体の下から這い出てきた女の子は,
揺すっても起きあがらない両親を残して,歩き始めました。
その時の彼女は泣いていなかったような。(昔見たので,よく覚えてません)
泣いていなかったのは,死(別れ)を知らなかったからではないかと。。。。
しかし,映画の最後のシーンでは,
修道院で独りぼっちになった少女は,初めて泣きました。
「ミッシェ〜ル!」と叫びながら。。初めて泣いた。

彼女は,あの時,初めて,別れの悲しさを知ったような
気がします。仲良しのミッシェルと墓を作る内に,,
自分の存在に目覚めていたような気がします。
一人になり,成長する彼女には,きっと,たくさんの悲しみが訪れる。。
     ↑
私,「禁じられた遊び」の映画を思い出すたびに
こんなことを考えていました。
しかし,最近,思うのは,,,
     ↓
あの二人の子どもは,大人に禁止されても,
なぜ隠れてまでも墓を作っていたのか?なのです。
その理由・・・・は,それを通して,無意識に二人の子どもは
こころを通わせあって,成長しようとしていたのではないかと。。
知ることは,悲しいことかもしれません。
でも,知る前に,知ったことで悲しみや苦しみを持つと,
人は考えてはいない。
あの十字架の遊びは,彼女にとっては,人が人となるめ,,
つまり,知るための遊びだったのかもしれないと。
(サルの子どもも,目的なく,遊びながら,学習する。)
     ↓
で,思ったのですが,
もしかしたら,大人もそうなのではないかと・・・

あの二人だけの墓から,もしもカメラをずーーーと引いて,
村の全体,村の周囲までを写もしたなら,
その村の周りには,村から戦場に出て行き,
死んで返ってきた者達の墓。
その光景を考えて,
「もしかすると,大人のやっている戦争こそが,,
 禁じられた遊びなのではないか」と思いました。

戦争って,主義とか宗教とか,経済とかが原因ではなく,
本当は,人が何かを感じるために,何かを知るために,
戦争とか言い争いとか,殴り合いをしてしまうような,気がします。
都合の良い相手を見つけて。。
人間の脳の深い部分の「知りたい!」「ハッキリとさせたい」という,
そんな無意識(超意識のようなもの)が,働いているのでは
ないかと思ったりしています。

・・・映像でしか見たことがありませんが,
子どもが銃を持っているのを見た後に,
次に大人が銃を持っているのを見て,
なにか,愚かな遊びのような気がしてしまいます。
子どもの頃の遊びと,同じ延長上にあるような。。。

私の子どもの頃のことをよーーく思い出してみると,
オニにされ,泣きい目にあっても,
次の日には,また,私は必死に遊びました。
なんで,私は,ああまでして,遊びたかったのだろうか。。
なにか,大人が起こす戦争の原因にも,
それと同じ様なものがあるかもしれないなどと考えて
しまいました(感じです)。
主義とか,宗教とか,民族などは,戦争の原因ではなく,
人間が人間を知るために行う究極の行動(殺し合い)の為の,
仲良く遊ぶ為の「遊びの種類(方法)」でしかないのではと,
考えてしまってます。

「戦争ごっこするものこの指とまれ!」
「カンけりするものよっといで!」
あの映画,本当の題は,「禁じなければいけない遊び」なのかも。。


(原題は,何というのだろう・・・?)
              すみません,いろいろ。
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ゲンゴロウ。。。






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