[BlueSky: 281] Re:273 科学研究と個人責任


[From] "Katsumi Tamaoku" [Date] Tue, 3 Aug 1999 18:44:24 +0900




横山さん,MLの皆さん。

   玉奥です。早速のご意見有り難うございます。

玉奥wrote:
>>横山さんは科学と技術を一緒に論じておられるように感じます。

横山さんwrote:
>その通りです。科学と技術を違うものだというのは業界内でのみ通じる幻想です。
>どんな純朴な科学も技術を構成し,どんな技術も科学を構成し得る。
>よって殊更両者を区別してみても現実に得るものは何もないと言う意味です。
>ですから,玉奥さんが科学者ではないとすれば,科学者である私としては誠に
>温かいご意見だと感謝しますが,ご自身が科学者であるとすれば,それは純朴
>すぎますよと言わねばなりません。
>
>繰り返しますが,
>科学と技術はもはや別々には存在し得ません。存在しているとすれば,純朴な
>科学者(別に悪い意味ではありません)の希望的錯覚です。
>
>私が申し上げたかったのは,後藤さんの言葉を借りれば「知の発見自体が重い」仕
事で
>あり,それを仕事している人間くらいは最低限その責任の重大さを自覚する必要が
ある
>ということです。

残念ながら私は科学者ではなく、科学の成果をメシの種としている企業人です。
企業人としては、「知」と「技術」の利用による「商品」を作り出すことで経済活

をしておりますから、「知」と「技術」の利用価値を見出すのも、その「商品」の

響を考慮するのも企業人の務めだと考えております。勿論環境への影響もです。

「科学と技術はもはや別々に存在しえない」のは、現代の科学が身近な問題の
解決に、または企業技術の開発に役立つ科学に、忙殺されすぎているからでは
ないのでしょうか。そのような科学であれば当然おっしゃるように「責任の重大さ

を自覚する倫理観は必要不可欠でしょう。それは「技術に奉仕する科学」
だからだと考えます。(遺伝子配列解読競争、組替え競争など)
勿論逆の「科学に奉仕する技術」は当然の帰結ですが、今すぐ役立つかどうか
わからない研究はつづけ難い環境だとは思います。

>
>この様な,(過去の人間活動全てに対しての)真摯な態度抜きには,環境問題を含
めて
>人類の未来を真の意味で前向きに語ることは難しいと確信しています。
>
>人間は弱く,しかも狡猾です。
>きっと,私は悪くない,私の行為と○○とは別であると自他に言い訳しつつもっと
深みに
>はまって行くのです。
>
>拡大解釈しても「責任は我にあり」と先ず考える習慣を少しでも付けた方が良いの
>では有りませんか?
>
>(多分に自虐的だとは自認してますが・・・・・^o^)

自然の真理から「仏」をだすのも、「鬼」を出すのも、それを利用する人間の
行為次第だと思います。
過去の人間活動、「どのように科学を利用してきたか」を真摯に見つめる事
も勿論「人間の性」を見つめなおす上で大切な事です。
自分の責任と思われるほど身近な問題であれば、その時こそ科学者として
立ちあがって欲しいと思います。
「責任は我にあり」と考え過ぎて研究が進まないような事のないようにお願い
します。責任感の強い研究者にこそ研究を進めて欲しいですから。

では、また。
         玉奥克巳



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