[BlueSky: 278] Re:267 情報の整理


[From] Ken Goto [Date] Tue, 03 Aug 1999 17:01:11 +0900

葛貫さん、玉奥さん、和尚さん、青空MLの皆さん

科学と技術の規制と問題を巡って。

葛貫さん【163】:
> 開発された技術を現実に適用する前に、科学的、社会的に広範囲な
> 視点から審査する、企業や研究機関から独立した機関を作った方が
> 良いのかもしれません。

僕の意見は、この葛貫さんのお考えに近いものです。

葛貫さん【267】:
> ただ、全体を俯瞰し、長期的な見通しをもって、ある技術を使うかどうかを
> 選択できるようにしない限り、その場凌ぎの繰り返しになり、住みよい世界
> はやってこない。

問題は、こうした社会的規制が、国際対立や企業利益優先の世界で、どこまで通
用するのか、という点に尽きる、かという気がします。

・・・ないより、余程ましですが。

和尚が一貫して主張してこられたことは、基礎科学者も現代においては「腕白小
僧」=「純朴な科学者」であっては駄目で、「科学者として大人でなければなら
ない」という、腕白小僧には至極耳の痛い点です。

・・・「科学者としての責任」は、現実には「科学者個人の倫理」ですから、社
会的に養成していく風土をつくることは可能ですが、「知の探求」を社会
的に規制することは不可能です。

玉奥さん【265】:
> > 和尚【254】:
> > 嘗て,名仏師が「仏様は木の中に既におわすゆえ,木の中の仏様をそ〜っと取り出す
> > ように彫る。間違っても自分で仏様を形作ろうなどと考えない」と言っていたのを
> > 聞いたことが有ります。
> これこそ科学的研究の方法論ではないでしょうか。

後藤【259】
> ここはまさにその通りなのでしょう。このあたりのことは、小学生でも漠然とし
> た直感で分かっている節があります。仏様はこころのなかにいる、とある少女が
> 語ったのを聞いて感動したことがあるのです。

玉奥さん【265】:
> 私が少年時代から理学部を志していたのも、今になって思えば私の中にこのような
> 考えが漠然とあったのではないかと思います。

僕もそのような気がします。自然の神秘=自然の謎こそ理学部生にとっての感動
の源泉であり、「科学者の眼で」救い上げることがらです。

> 大昔の、私の初めての学会発表の際、某旧帝大工学部助教授から、「その研究は
> 何の役に立つのですか」と聞かれて、一瞬わが耳を疑ったことを今でも忘れません
> 。

和尚【273】:
> これは上とは次元の違う問題ですね。
> 仮に私が指導教官であれば,学位の候補者に対して同じ質問をするかも知れません。
> それは,たとえ理学部の学生であっても,同様のことを聞かれて毅然として応える
> 説明責任(accountability)があると考えるからです。その為の訓練です。

基礎科学研究は昔から、何の役に立つのですか、といわれ続けてきました。
僕が理学部に入学した頃は、学生運動がまだ華やかりし時期でもあり、さまざま
な社会的問題(公害、ベトナム戦争)が、「学生の生き方」として捉えられてい
た時代でもあったために、何の役に立つのですか、という課題は、学生の頃から
の課題でした。

・・・それ以前(5,60年代)は、「国民のための科学」運動なども盛り上っ
た時期もあったようですが、詳しくは知りません。

ただ、ルイセンコ問題などを想定すれば分かるように、また、京大の徳田
御稔(みとし)流進化学説にみるように、イデオロギーが科学的視点を曇
らせる、という弊害があったのではないか、と僕は思っています。

基礎科学は役に立たないからこそ役に立つ、というべきでしょうか?
世知辛い世の中ですが、「役に立たない」人間がいても、和尚ならきっと温かく
迎えてくれますね?

ここでは、明治維新以来の一貫した学校教育の精神が国民全体に浸透している点
も、僕としては、見逃せません。「国家有為の人材」こそ、国家は養成したい
(当たり前ですが)。

でも、ひとは遊びたい、と思っているに違いない、と僕は思っています。学校教
育は、この遊び心を抑制して、

和尚【250】:
> >ここは和尚、明らかに違います。
> >反例:中高生までに、子どもたちは科学教育を受けていません。知識を詰め込ん
> >だり、問題を解いたりしますが、それは科学的態度とは関係のないところで行わ
> >れている、と思うのです。
>
> 言いがかりが過ぎましたか・・・失礼しました。
> だけど,「問題を解いたり」,「知識を詰め込んだり」する時,無意識に単純科学的
> 世界観が作用していないでしょうか?
> 多くの場合,答えは一つで,詰め込む知識に自由度も低いでしょう。
> 答えが無数に有ったり,何を覚えても良いよととは先生は言いませんよね。

というのが、明治維新以来、学校教育の一貫した姿勢なのです。
役に立たなければいけない、とみんなが思わされている。

しかし、小手先の役に立つことを追求した結果が、例えば、現代の環境問題です
から、役立たずの腕白小僧なら、ばか野郎!といいたくなるのも無理ないでしょ
う。

科学の知は、技術利用がなければ、新しい知をもたらすことを通じて、ひとびと
の世界像を変える力、つまり文化でもあります。こうした純朴な世界に遊ぶこと
ができなくなって、、、和尚! 誰のせいですか?!

・・・知の探求を純粋に楽しめなくなったことも、貧しさの一つの指標になりま
すね。

後藤 健
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帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612

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