[BlueSky: 2748] Re:2745 動物の権利


[From] "suka" [Date] Sat, 13 Jan 2001 13:55:40 +0900

akiraさん みなさん

   須賀です。

akiraさん:
> これはぼくの私見なのですが、特に環境問題の場合、歴史認識というものが、
> 重要だと考えています。

わたしもそう思います。その意味でもakiraさんの一連のご発言は
いろいろなことを考えるきっかけになります。

akiraさん:
> 日本国憲法において中心的な概念となっている人権、民主主義、幸福の追求権、
> 公共の福祉、などの言葉は、その起源をジェファーソンのアメリカ独立宣言にま
で、
> 遡っていく事ができます。
> (参考資料・神保さんのサイト ⇒ http://jimbo.tanakanews.com/221-1.html
 )

ジェファーソン以前についてはどうでしょうか。
ロデリック・F・ナッシュ著 松野弘訳『自然の権利』(ちくま文庫)
にはこういう一節があります。
「ジェファーソンの独立宣言文は独創的な思想ではなく、むしろ、
少なくとも過去一世紀の間、イギリス、フランス、北アメリカの国々で
後半に流布していた思想を寄せ集めたものであるということに、
カール・ベッカーをはじめとして何人かの人々は気づいていた。」

この本のはじめの方に「倫理の進化」「権利概念の拡大」という
図があるのですが、これが「直線的な進歩の図式」を感じさせる
ところに、わたしとしてはやや違和感をおぼえます。どちらの図も
扇をすこしひらいたようなかたちの縦長の図で、下のほうつまり
扇形の中心に自分中心にちかい権利の概念があり、それが上に
いくほどよりひろいひとびとに拡大されて、最後には自然界にまで
いきつくという表現になっています。

「権利概念の拡大」の図の方でいうと、ギリシア・ローマ法時代の
「自然権」の概念が扇形の中心にあり、そこから上昇するにつれ
「イギリス貴族」(マグナカルタ)
「アメリカ入植者」(独立宣言)
「奴隷」(解放宣言)
「女性」(憲法修正19条)
「アメリカ先住民」(インディアン市民権法)
「労働者」(公正労働基準法)
「黒人」(公民権法)
「自然」(絶滅危険種保護法)
というように時代とともによりひろい主体が法的権利を獲得して
きた様子がしめされています。

ナッシュ自身が、これらは「理念型」であり「図式的」な表現である
ことをことわっており、今の時点からさかのぼって考えるとそのよう
にみることが可能であるというのはわかります。しかし別の見方を
するとここでえらばれている例そのものが「西洋中心主義的」と
いうこともできそうです。西洋以外の社会の伝統的な慣習法や
しきたりのなかにも、ここでいう「自然の権利」をみとめてきたよう
なものがあるのではないかと思うのですがいかがでしょうか。
(わたしはよく知らないのでご存知の方にご教示いただければ
さいわいです。)I

このように考えると、日本国憲法も単に西洋中心主義の押し付け
というふうにだけ考えたのでは単純すぎるような気がします。むしろ
日本のさまざまな地域社会で伝統的に「自然の権利」に相当する
ものをどのようにあつかってきたのかとか、現在の日本国民が
このテーマをどう考えるかとか、経済だけでなく情報や文化も
グローバル化がすすむなかで、環境の問題をどう位置づけていく
のか、といったことを幅広く考え、議論したうえでなければ、次の
一歩にはすすまないのではないでしょうか。

> 公共(パブリック)というものは、常にマジョリティによって形成され、その福祉

> はマジョリティにとっての利益であり、人権とは彼らが自らの利益を守るため
> に設定された概念であり、幸福の追求権とは、第一にそんなマジョリティが
> 自分自身に保障したものであった、と言う事を忘れてはならないと思います。

そうだろうと思います。それだけにこのような話題は、偽善的な
ものになりやすいか、あるいは実際には偽善的な意図をもって
いなくても偽善的なものとあやまって思われやすいという危険が
つねにあります。しかしそのことをおそれず、勇気をもって緻密
な議論を(気持ち的には?)めざしていくしかないのでしょうね。

「権利」の主体は、自律的な意思決定と責任の主体でもあるという
イメージがあって、それで人間社会の法の体系に「自然の権利」
をくみこむのがむずかしくなっているのかもしれません。もっとも
「子供の権利」という考え方もありますよね。子供は有権者じゃ
ないけど、成長したら同じ社会の仲間になるわけです。でも自然は
またちがいますよね。法律は人間の言葉で書かれていますから、
人間にしかわからない、ということはやはり人間の責任について
考えるということになるわけか。

だれに対する責任か。自然に対する責任か、将来世代に対する
責任なのか。

実際には自然環境は人間にさまざまな恩恵をもたらしてくれて
います。ひとをうちすえることもありますが。比喩的にいうなら
自然界はとっくにもう「責任」を果たしている、という言い方も
できるかもしれませんね。

問題はそれで納得するひとがどのくらいいるかということに結局は
いきつくのかもしれませんね。どのように書くにしても、法律は
人間のことばで書くしかないでしょうからね(笑)。

須賀 丈


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