[BlueSky: 2745] Re:2733 動物の権利


[From] "akira" [Date] Sat, 13 Jan 2001 00:22:17 +0900

こんにちは、akiraです。

小宮さん:
> この部分が理由ですよね。公共の福祉に反しない限り幸福追求していい、という
> ことなので、動物の無制限の利用も、公共の福祉に反しない限り許される、という
> ことになるのでしょうか。公共の福祉に反する、というのをどう読み取るかが問題
> だと思いますが、動物の無慈悲な利用を公共の福祉に反するということができる
> かどうかは難しそうですね。ただ、ある程度までの権利(あまりにもひどい、多種
> 間でのキメラ動物の作成とか)だったら公共の福祉に反するということができるか
> もしれません。これはちょっと難しそうなのでもう少し考えてみます。ただ、憲法
> 改正までいくと時間がかかるのと、反発が大きいという理由で、僕は法律での
>規制 くらいが見こみがあると思うのですがどうでしょう?

これはぼくの私見なのですが、特に環境問題の場合、歴史認識というものが、
重要だと考えています。例えば、生活習慣病というものがあるように、環境問題を
ひとつの病ととらえれば、それはここ数十年の間にポッと突然現れた訳ではなく、
数百年に及ぶ文明の歴史の「結果」として、必然的に現れたものです。

日本国憲法において中心的な概念となっている人権、民主主義、幸福の追求権、
公共の福祉、などの言葉は、その起源をジェファーソンのアメリカ独立宣言にまで、
遡っていく事ができます。
(参考資料・神保さんのサイト ⇒ http://jimbo.tanakanews.com/221-1.html )

まず、公共という日本語ですが、公儀、徳川公、公達、公家、などに見られるよう
に、公という字には常に支配階級、特権階級、強者、マジョリティ、という意味
合いが濃厚に存在しています。
一方、ジェファーソンが公共(public)という言葉を使った時、その意味するもの
は白人マジョリティによって形成された社会であり、奴隷状態にあった黒人や、
インディアンの存在は考えられていませんでした。

公共(パブリック)というものは、常にマジョリティによって形成され、その福祉と
はマジョリティにとっての利益であり、人権とは彼らが自らの利益を守るため
に設定された概念であり、幸福の追求権とは、第一にそんなマジョリティが
自分自身に保障したものであった、と言う事を忘れてはならないと思います。

アメリカの歴史を見れば明らかですが、彼らマジョリティが、その幸福の追求
権を遂行していく過程は、そのまま、黒人やインディアンの生命や財産や文化
や、そして尊厳を奪っていくプロセスでした。

白人マジョリティに幸福の追求権があるのなら、黒人やインディアンにもある
はずです。ヒトに、幸福の追求権があるのなら、サルにも当然あるはずです。

かつて、古代エジプトの王は、絢爛たる王宮に君臨してこう叫びました。
「我に従え!我は神なり!」と。
でも彼は彼が支配する民衆と全く同じ、単なる「ヒト」でしたね。
結局、「幸福の追求権」などというものは、強者が、その絶大なる力に奢って捏造し
たフィクションに過ぎないということです。そして、公共とは、そんな強者の利害を
代弁する出先機関に過ぎません。

ジェファーソンによって高らかに独立宣言が謳われた直後から、インディアンに対す
るアメリカ政府の組織的な追討・殲滅作戦が本格的に開始されました。その歴史
的事実が何を意味するのか。インディアンの存在が、公共の福祉に反するから、
ジェノサイドされたのですよ。それは同時に、インディアンが共生していた地域生
態系のジェノサイドでもありました。すべてが滅びたあと、白人は大農園を開き
ました。幸福の追求権に基づいて・・・・

(現在、日本では毎年万単位の元飼い猫や元飼い犬が、公共の福祉に反するという
理由でホロコーストされ続けています。公共って、何でしょう?)


動物(生物)の生存権に関しては、確かに法律レベルの改正が現実的でしょう。
ぼく自身、憲法改正が難しいことはよく分かっています。また、具体的に他の生物種
の生存権が、どのように言葉として明記されうるのか、よく分かっていません(^_^;)
ですが、憲法に書かれた幸福の追求権と、それを制限(推進)する公共概念につい
て、みなさんに考えてもらいたくて、あんな発言をしました。

人種差別の原理と、動物差別の原理は、実は根を同じにするのでは、と思います。
インディアンの掃討と、熱帯林の乱開発も、同じ原理では、と思います。
(その昔、沖縄・石垣島の新空港建設推進派は、白保の珊瑚礁など「埋殺すべし!」
と宣言しました。その存在が空港建設を阻み、幸福の追求を制限し、公共の福祉に
反する、と考えたのでしょう)

人間と動物は違う、というのなら、かつて白人たちは黒人やインディアンの事を
動物だと、あるいは動物以下だと認識していた事を思い出してください。
そしてまた、ヒトとチンパンジーの遺伝子が90%以上同じであるという事実も。

一千万種以上とも言われるまでに進化・分化した生態系が、生命誕生の瞬間
にはひとつ、であったという事実(仮説?)と、細胞数60兆にまで分化したヒトの
身体が、その誕生の瞬間には、ひとつの受精卵であった、という事実も。

参考文献:アメリカ・インディアン悲史/NHKブックス
       野蛮の発見/講談社現代新書








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