[BlueSky: 2711] Re:2708 Endangered Species


[From] Shinsuke Uno [Date] Sun, 07 Jan 2001 04:29:30 -0500

宇野@ミシガンです。

佐藤さんから御質問のあった、絶滅の危機に瀕した種の保護を何故するか、という話
ですが、即答される方がいらっしゃらないので、仕事の息抜きがてら、僭越ながら私
見を書いてみます。


根底には「多様性=善」という、やや盲信的な部分があり、それゆえ多様性の損失は
悪、というところに直結しがちなんだと思います。生態系の機能効率と多様性の関係
については、まだまだ不明瞭な点が多々あります。また、実際に生態系全体の保全が
必要とされる場合でも、いわゆる「専門家」と呼ばれる人達の間に、「事実は複雑に
して一般大衆にわかりやすく説明することは困難なり」という偏見(怠慢)があるの
も事実ではないでしょうか。ここで、お手軽に広い面積を保護区化し、生態系全体の
保全を計る方法として、大衆うけしやすく、必要とする生息地の面積の広い、カリス
マ性の高い大型動物がターゲットとされる、という図式が成立します。従って、ター
ゲットになる生物と生態系の機能の保持という様な関係について科学的根拠は必ずし
もないでしょう。サイにするのかトラなのか、というような話になると、誰が政治経
済的に発言力をもっているか、というところに落ち着くんじゃないでしょうか。アメ
リカ政府の話ですが、どの種を絶滅危険種として認定するか、という時点ですでに大
動物を優先するようなデータ量の偏りがあるそうなので、結局やる人の好みの影響が
結構あるようです。

地元の住民を排除し、保護区を設立するやり方は、生物的多様性の減少は人間の活動
が原因だから人間を排除すれば多様性の保全ができるという、これもまた短絡的理屈
によるものだと思います。実際には、日本の里山のように、生物的多様性というのは、
人の生活を支える資源として管理・利用されてきたという歴史があるはずで、そこを
無視したアプローチが成功しないのは当然だと思います。最近のガラパゴスでの地元
の漁業関係者と保護区管理者・エクアドル政府との対立もその辺に原因をみることが
出来るはずです。もっとも、最近はグアテマラ等に見られるような、資源利用区を含
むバイオスフィアプロジェクトもありますから、その辺も変わりつつあるのかもしれ
ませんが。

だんだん違う話になってきてますが、生物的多様性全般の保全という事で続行させて
もらうと、前文中に触れたように「人の生活を支える資源」という見方をすれば、そ
の保全のメリットは明白なはずです。よく例として使われるのは、医療、農業関係で
すね。アスピリンの様な現在ごく当たり前に合成されている薬も、もともとは植物性
の化学物質から分離されたわけですし、蛇の毒の分析から、高血圧の薬が開発された
例などもあります。また、農業関係では、品種改良のもとになる遺伝子資源としての
側面も重要ですし、農薬の害を避けて、害虫駆除を天敵を利用して行おうという場合
も生物的多様性は天敵のストックとしての価値を持ちます。

つまるところ、生物的多様性が人間社会にとって意味するところは、遺伝子的多様性
がある種の存続にとって意味するところと似ているということです。将来起こりうる
環境の変化に対応出来るかどうか、そこを左右する「保険」のようなもの、と言って
いいんじゃないでしょうか。ただ、人間にとっての利用価値という面を強調し過ぎる
と、それなら「必要な物」だけ保持すればいいじゃない、という考え方も出てきます。
しかし、「保険」という性質上、将来必要になるかも、の「かも」という不確かさは
常についてまわりますから、どの種をどれだけ、という様な勘定は出来ません。従っ
て、「出来るだけたくさん」としか解答のしようがない、とも言えます。そうすると、
広い面積をお手軽に保護しようという、前述した手法に戻ってくる、というわけです。
また、「出来るだけたくさん」という事になると、「全ての生物に存在意義がある」
とか「人間のためだけの地球ではない」とかいう道徳的観念や感情的部分に訴えるや
り方が必要またはその方が効果的、という考え方もあるでしょう。

さらに話をずらすと、生物的多様性の高い熱帯の住民にとっては、多様性そのものが
文化の一部であるから、その損失は自文化の損失に直結するという様は見方も出来ま
す。また、最近はやりのエコツーリズムも多様性を利用したものですから、その損失
は観光という娯楽の損失とも言えます。芸術や思想の発展の歴史を振り返れば、自然
界の有り様がモデルやインスピレーションとなったケースが結構あるはずです。生物
的多様性は、そういう点でも重要な資源である、とは言えないでしょうか。もっとも
この辺については、何を「自然」、「美」、「善」、「望ましい」とするかというと
ころで、多様性が高くなければいけないという必然性はないですから、弱いですね。

環境保護全般にいえることかもしれませんが、将来的な不確定要素に対しての安全策
として事を成さなければならないという性質が強いですから、技術革新によって問題
は解決される、という立場をとる人達とは相容れない点が多いですね。また、生物的
多様性の保全という話には、工業汚染などとは違って、環境保護を促進することで
「現在の住人」の生活環境を改善しよう、というような短期的なわかりやすいメリッ
トがないですから、「未来の住人」のために今どれだけ我慢できるか、という話にな
ります。「現在の住人」、殊に個人単位でメリットがあるか、と言われると、自分に
はうまい解答が出せません。

環境問題は、「現在の住人」がどれだけ「未来の住人」への配慮を理由に個人レベル
の不都合を我慢できるか、という問題だと思っているので、個人的利益を越えた長期
的視点で生活基準を築くことが出来ない、という事が遅かれ早かれ人類を絶滅に導く
んだろうなぁ、とか時々思ったりします・・・。


思い付くままダラダラ書いてしまいました・・・。寝ないと朝がつらいのでやめて寝
ます。上記の内容、穴埋めをして下さる方があると幸いです。ということで、おやす
みなさい。




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