[BlueSky: 2689] Re:2678 状況判断と危機感


[From] "akira " [Date] Wed, 27 Dec 2000 09:16:06 +0900

akiraです、こんにちは。

澤口さん:
> たとえば akira さんは江戸時代の生活様式を持ち上げていま
> したが、アイヌ民族や琉球民族への差別感を確立、施行したの
> も同時代の人間の営為です。

これは確かに江戸時代の出来事ですね。
ですが、その背景にある歴史的事実にも注目して欲しいものです。
薩摩という国は、日本のなかでももっとも早く南蛮人、つまり当時世界を
制覇していたスペイン・ポルトガル人と関わりを持った地域でした。
それは、種子島へのポルトガル人の漂着と鉄砲の伝来によって象徴的
ですね。この鉄砲の伝来によって、従来の日本の合戦の概念は根底
から覆されたと言います。その革命を担った代表者が、信長です。

彼ら戦国大名は、鉄砲という革命的な武器によって、南蛮人の優秀さと
その豊かさに瞠目せずにはいられなかった。そして考えました。
何故、同じ人間なのに、彼らの文化はこれほど優れ、彼らの技術は
これほど高く、彼らの生活はこれほど豊かなのか?と。
その答えが、「外国を侵略し、資源を奪い、支配し経営する事によって
得られる莫大な富が、南蛮人をここまでに成り上がらせたのだ」でした。
それを忠実に模倣して成功したのが、薩摩による琉球征伐でした。そして、
幕府による北海道開拓も同じ路線です。猿まねして失敗したのが秀吉の
朝鮮出兵ですね(笑)
そして、琉球王国を支配し搾取する事によって蓄積された富がひとつの
基盤となって、明治維新がなし遂げられました。維新という革命においての
薩摩の位置づけを、そんな視点から見るとまた面白いと思います。

薩摩を中心とした明治政府は、植民地経営のうま味というものを熟知して
いました。当時の高官達が盛んに欧米に視察に行っていますが、そこで
学びとった事も、薩摩が南蛮人から学びとった事と同じでした。それは
「よそから奪わなければ豊かになれない」です。
そんな明治政府にとって江戸250年の鎖国は、自ら豊かさへの可能性を
捨てた、という意味で、愚かな致命的な停滞として、完全に否定されました。
(それを再評価しようというのが、石川英輔さんの視点です)
その後の琉球処分、朝鮮・台湾併合、大陸中国への侵略、南洋開発・・
そして大東亜戦争。すべての流れは、日本という頭のいい器用な国が、
欧米の近代史を忠実に模倣したプロセスだと言えます。
その結果、新参者が大先輩の既得権益を侵して、顰蹙を買って叩かれたのが
第二次大戦の大敗です。

アイヌや琉球民族に対する差別と支配の確立、という歴史事象は、江戸時代
という地域限定サブジェクトで扱うよりも、西洋近代から明治維新後の海外覇権
主義にいたる大きな流れの一部として、理解したほうが適当かと思います。
分かりやすく言うと、ぼくや石川さんが再評価すべきと言っているのは、江戸時代に
おけるローカリズムの知恵であり、澤口さんが反証として提示したのは、江戸時代
にもすでに進行していたグローバリズムのうねりである。ということでしょう。

> もしかすると差別様式の確立と環境保護は表裏一体のものかも
> 知れないのです。

東京は世界の大都市のなかでも、緑の多い所として有名です。それに比べて、
大阪の緑の少なさは際立っていますね。
東京江戸は、かつて権力者の住まう政都でした。参勤交代によって全国から
殿様が集まり、屋敷や別邸、庭園を築きました。それら絶対権力に守られた
聖域が、明治維新後も引き継がれて、新宿御苑など多くの公園緑地として現在も
残っています。また、明治神宮の森の生態的豊かさも、ニューヨークのセントラル
パークの比ではないと言います(鎮守の森のサンクチュアリ機能)
江戸時代には、殿様直轄のお留め林というのがありました。そこもまた、
権力によって守られて、下々が勝手に経済活動をしてはいけない聖域でした。
また、沖縄の北部山原の森に建設された米軍弾薬庫と、それを取り巻く広大な
立入禁止区域が、逆に山原の森の豊かさを県民の経済活動から守っていた、
という皮肉な現実もありました。

江戸時代に典型的な階級社会、差別を前提にした強大な権力。それによって
個々の欲望が規制され、自然環境が守られていた。それは、事実です。
以前ぼくが[2603]で書いた憲法12条の改正というのは、そんな環境保護における
絶対権力の有効性というものをも視野に入れて、問題提起しました。
我々の中に存在する、「贅沢は素敵だ」という指向性は、極めて盲目的なものです。
ある意味、デパートのおもちゃ売り場で「あれ買って〜」といって駄々をこねている
ガキに近いものがあります。それは基本的に分別を知りません。
そんな底無しの欲望にブレーキをかけるためには、絶対権力は極めて有効でした。
しかし、王様や殿様を復活させて頭の上にいただく事を肯定する人は、まずいない
でしょう。だからこその憲法なのです。

現代の環境問題において、どんなに人間がひどい仕打ちをしても、自然生態系は
どのような叫びも発する事ができません。江戸時代の百姓には許されていた、
一揆を起こして殿様を改易させるという非常手段もありません(乱開発・乱伐にとも
なう地滑りや洪水などは、彼らなりの一揆かも知れませんが・・・)
彼らはただ黙って死んでいきます。
だからこそ、人間が、自らの意志で、自らの欲望をコントロールする
しかないのでは?
考えなければならないのは、そのコントロールするシステムを、どうやって社会の
中に具体的に、かつ有効な形で導入していくか、でしょう。
憲法改正論が、それに対するぼくなりの一つの提案だったのですが。

我々がやらなければならない事は、いたずらに江戸時代を礼賛する事ではなく、
歴史の中から、どのように知恵を抽出して、それを現代に生かすか、ということ
だと思っていますが・・・ 完璧な社会など、いつの時代にもありえないのですか
ら。

たった五行に対するレスとしては長すぎますね(^_^;) 休みに入って時間があるので
・・・
ちなみに、ぼくの出身校は琉球大学でした。

それでは。    akira




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