[BlueSky: 265] Re:250,254 科学研究と個人責任


[From] "Katsumi Tamaoku" [Date] Tue, 3 Aug 1999 11:25:43 +0900




横山さん、後藤さん、MLの皆さん

横レスですみません、玉奥です。

>>アインシュタインのE=mc^2法則(質量はエネルギーと等価である)の発見
>>も、原子爆弾の開発・製造・投下と同じような「悪」ということですか?
>
>ですから,第三者である私は責めませんが,彼は責任を感じていた,いるべきであ

>と考えています。言いたいこと分かって頂けていると思いますが。
>
>>また、社会的規制を視野に入れた時、技術の規制はコンセンサスを得られる可能
>>性がありますが、科学(理系学問)の規制は「学問の自由」と抵触すると思われ
>>ますが、どうなのでしょうか?
>
>自由と責任はセットでしょう。結果責任は免れないと考えます。
>私は,現実問題(環境劣化地における土壌微生物の多様性の減少)への対策という
>非常に生臭い問題を何時も考えているために殊更神経質に成っているのでしょうが

>純粋科学という聖域的考えはやはり純朴すぎると感じています。
>
>科学者も当然結果責任を負うべきで,仮に将来核兵器が地球環境を破壊すると
>したら,アインシュタイン氏にも責任があると言わざるを得ないでしょう。
>
>科学者がそのような自覚を持たないと「規制しろ」と言うような極論に説得力を持
たせて
>しまいますよと申し上げたいのです。
>

原子爆弾の開発において、アインシュタインは、「特殊相対性理論」を発見したこ

に責任を感じろ、と言うのであれば、原子の構造を研究したN.ボーアの方がさら

責任を感じるべきだ、と言うことになります。
彼らが確かに原爆開発に関心を持ったのも事実ですが、真の責任は量子論を道具、
技術として用い、原子爆弾を開発・製造したマンハッタン計画の責任者であり、
ロス・アラモス研究所の所長であったJ.R.オッペンハイマーとその協力者のE.フェ
ルミ
であり、彼らの心の痛みを聞いてみたいと思います。
ただ、オッペンハイマーも水爆開発に反対して学会の地位を追われておりますから

原爆の開発に対する責任は十分持っていたものと思います。
(オッペンハイマー以外はすべてノーベル賞物理学賞の受賞者)

横山さんは科学と技術を一緒に論じておられるように感じます。確かに近代西洋科

の出発点では、G.ガリレイの経験と数学の統一による経験の科学化、F.ベーコンの
「知は力である」のモットーに見られるように、西洋近代科学はその出発点から既

その本体が技術的なものであった(「哲学の歴史」新田義弘、講談社現代新書)と

言えるでしょうが、私は
>
>嘗て,名仏師が「仏様は木の中に既におわすゆえ,木の中の仏様をそ〜っと取り出

>ように彫る。間違っても自分で仏様を形作ろうなどと考えない」と言っていたのを
>聞いたことが有ります。

これこそ科学的研究の方法論ではないでしょうか。

私が少年時代から理学部を志していたのも、今になって思えば私の中にこのような
考えが漠然とあったのではないかと思います。
大昔の、私の初めての学会発表の際、某旧帝大工学部助教授から、「その研究は
何の役に立つのですか」と聞かれて、一瞬わが耳を疑ったことを今でも忘れません

技術系学部では、本来役に立たないと思われている、どうでもよいような自然の摂

探求には興味がないのでしょう。
環境問題は、この分野の重視が重要だと考えております。
ただ、現在では理学部も怪しくなっているようで、何か役立つものはないか、と捜
して
いるように見えます。

私も、新技術開発は「自由と責任」はセット、と考えます。

では、また。
         玉奥克巳



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