[BlueSky: 2624] Re:2620 シッダルター


[From] minetobe1492@nyc.odn.ne.jp [Date] Wed, 20 Dec 2000 09:56:28 +0900

こんにちは、akiraです。

須賀さんwrote:
> 僕はただ小説の主人公のシッダールタのことを「たいへんだなあ」
> といっただけのつもりだったのですが……。でもシッダールタ
> は若いうちからそれをめざしてがんばったので、・・省略失礼・・

以前、2年ほどインドに滞在していた時、興味があって仏教について
勉強した事があります。焦点になったのは、人間シッダルターの
等身大の実像、でした。

シャカ族の王子に生まれた彼を父王は溺愛し、身の回りからあらゆる
苦痛や不快を退け、あらゆる快と楽を集めて、王宮の中で箱入りの様にして
育てました。夏には涼しい離宮に、冬には温かい離宮に移り住み、生活用品は
当時としては考えうる最高の贅沢品を世界中から集め、常に楽士の奏でる
音楽が耳を楽しませ、美食を味わい、踊り子を侍らせ、それは、人間として
これ以上にはない満たされた生活でした。
それは、人工的な宮城の中で閉じた、ひとつのバーチャルな世界でした。

ところがある日、少年シッダルターは日頃まったく関わる事のなかった、宮城外
の世界を知ってしまいます。一般の下々の人々は額に汗をにじませ、重労働に
喘ぎ、病や、老いや、死を日常として生きていました。
それは、恵まれきった王宮内部の生活しか知らないシッダルターにとっては
地獄の様な不快と苦痛と恐怖に満ちた生だったのです。
日頃自分に媚びる事しかしない(仮想)現実だけに囲まれて育った彼は、この時
初めて、絶対に自分に媚びる事のない現実を目の当たりにしたのです。
これがいわゆる四門出遊のエピソードであり、その「現実」は生老病死という
言葉によって表現されています。

考えてみると、シッダルターに与えられていた王宮内部の生活は、現代の
我々の生活に酷似していませんか?
我々先進国内部の生活と、第三世界の飢餓や戦争、病と死に満ちた生活は
そのまま、王宮内部と門外の現実との落差に当てはまりませんか?
あらゆる快適、安全、便利を追求し、感覚的享楽や物質的富に囲まれた王侯暮らし。
彼の目線の動き一つで、召使たちは彼の意志を察知して甲斐甲斐しく仕えたでしょ
う。我々の生活の中では「機械奴隷」がやっている事を、シッダルターの周りでは
人間奴隷がやっていたわけです。
それはある意味、はるか2500年前に先取りされた「現代」だったのかも知れません。
そして、出家せずにはいられないほど彼を追い込んだ「苦悩」は、現代を先取りした
苦悩だったのかも知れません。

そういう角度から仏教を見ると、シッダルターが何故若くして「我」を捨てる、欲望
を捨てる、という視点に立たざるを得なかったかが、極めて今日的な課題として
身に迫ってくると思います。
そして、彼が最終的にたどり着いた「悟り」と、そこから発せられた言葉も
現代人にとっては、極めて切実なものとなるはずです。

これは私見ですが、シッダルターの人生の道筋と、その深い理解から生まれた
知恵の言葉つまり仏教は、現代人が現代に特徴的な社会問題・経済格差、
飢餓、戦争、環境問題、心の闇、etc...について考える時、極めて示唆的
だと思います。
仏教というものを、「文明的な苦悩を先取りしそれを解決した英知」として、改めて
検証してみると、面白いかも知れません。

実はヘッセの「シッダールタ」は読んだ事がありません。ぼくのシッダルター観とは
違うのかも知れませんが・・・ 今度、読んでみたいと思います。

それから、
佐川さん:
> 欲望は、「社会性の本質」です。
> 若者が「欲望をすて己をすてる」ということは「社会的存在で
> あるところの人間」をやめるということででもあります。

欲望は他者との関係性を築くための原動力です。が、ただそれだけでは
反社会的なものです。なぜなら、欲望とは基本的に個の中で閉じており、
極めて利己的なものだからです。
そんな利己的な欲望を動機として他者との関係を模索する過程で、少しずつ
他者のことを考え、自分の欲望をコントロールする術を身につける。
これがいわゆる社会化のプロセスであり、社会性の本質です。
利己的な欲望に狂奔し、他者の存在を省みないということこそ、
「社会的存在であるところの人間」をやめる、ということではないでしょうか。

話題がとんで恐縮ですが・・
江戸時代の殿様たちは、日常生活では意外と質素な暮らしをしていたそうです。
鎖国という条件下で、農業という生態系の生産力を前提に、限られた地域内の
限られた循環を土台として国家が成り立つ時、殿様といえども他者である
農工商の人々や野生動物・自然生態系との関係性という兼ね合いの中で、
自らの欲望を抑制しなければならなかったという事でしょうか。
江戸時代というのは確かにいろいろと問題はあったと思いますが、
現代に比べてはるかに「社会的」に健全だった様な気がします・・・・
後世からみたら、現代と江戸時代とどっちが暗黒時代と評価されるのでしょうね。

それでは。 akira






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