[BlueSky: 2603] Re:2599 金銭コストとカロリーコスト


[From] "akira" [Date] Mon, 18 Dec 2000 11:51:04 +0900

こんにちは、akiraです。

葛貫さんwrote:
> カロリーコストからみえてくる現実を、どう貨幣経済という仮想に浸っている
> 世界に導入してゆくか。仮想の世界が大きな破綻を来す前に、できれば、
> 大きな混乱を招かない穏便なかたちで、なんて、ヒトにはできないでしょうか。

環境問題とのからみで言えば、現代文明を支えているもっとも重要な仮想は、
ヒューマニズム、つまり、人間至上主義です。
「ひとの命は地球より重い」という言葉に、それがよく表れていますね。
人間にとってはなんとも心地よい美辞麗句です。
これを分かりやすく意訳すると、人間存在とその欲望は地球上のその他の
すべての存在よりも、重要であり、優先される。ということでしょうか。

ヴエルナー・ゾンバルトという社会学者が、大航海時代から植民地時代をへて
産業革命をなし遂げた、世界の支配者としてのヨーロッパ文明を評して、
「あらゆる人種、あらゆる国民が我々のために死んでくれたので我々は
冨者になれたのだ」と自嘲的?に喝破しています。

現代文明と環境問題に関して、彼の言葉を借りて評するならば、
「あらゆる生物種、あらゆる生態系が我々のために死んでくれたので、
我々は豊かになれたのだ」になるでしょうか。

その根底にあるのは、西欧近代的なヒューマニズム、人間至上主義です。
かつての発見された人々に対する殺戮、略奪、奴隷化、そして植民地支配が、
白人キリスト教徒至上主義に基づいていたのと、全く同じ構図です。
(人間以外の生物や生態系など、究極的には人間に奉仕するために存在する。
この思想は、熱帯林の遺伝子資源論などによく表れていますね)

その典型的な実例は、実は日本国憲法の中に見る事ができます。
第13条いわく「すべての国民は個人として尊重される。生命、自由、
および幸福追求に対する国民の権利は公共の福祉に反しない限り〜
最大限の尊重を必要とする。」とあります。
現代において幸福の追求は消費の追求によって実践され(いわゆる開発という
ものも、突き詰めて考えれば大規模な消費以外の何物でもありません)、
公共の福祉に自然生態系や他の生物種は含まれていないのです。
(これは初期の人権思想において、発見された先住民、インディアンや黒人の
権利がまったく考慮されていなかったのと同じです)

このような思想の背景には、バックス・アメリカーナという名のグローバリ
ゼーションを扇動する、アメリカ合衆国の建国の歴史があるのですが、
長くなるので省略します。

人間は自ら制度・法律を作り、自らそれに従う生き物です。
日本国憲法という国家の根本法によって消費文明が保障・推進されている
限り、環境問題の解決などあり得ません。

そこで、考えうる選択は:
人間以外の生物種やその営みの複合体としての生態系に、「主体的な生存権」
を認め、憲法13条を改正し、公共の福祉における「公共」に、それを明記する、
ということです。それはどこまでも、彼らの主体的な権利でなければなりません。
人間にとっての利益、をその対象にしてはならないと考えます。
我々の欲望以上に、最大限に尊重しなければならないものが存在するのだと、
憲法の名において宣言するのです(これまでの文脈を見れば、それが条例や法律
ではなく憲法でなければならない意味が分かると思います)
そしてもちろん、この新憲法はひとつのムーブメントとして、世界中に普及しな
ければ意味がありません。
真っ先に反対するのは、多分アメリカでしょうね(笑)

これは、ある意味革命です。でも、決して実現不可能な革命ではありません。
奴隷貿易全盛時代のイギリスにおいて、黒人の人権を叫んだら袋叩きに
あったでしょう。しかし、現在、どうなっていますか?
要は、我々の自覚がいかに進化しうるか、の問題です。

だれか賛同者はいないかな?

それでは。       akira





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