[BlueSky: 2562] Re:2558 人間の quality


[From] Ken Goto [Date] Thu, 07 Dec 2000 12:25:46 +0900

青空MLのみなさん
                   後藤@帯畜大です。

小宮さんの【BlueSky: 2503 仮想空間】から始まったスレッド、興味深
く読ませていただきました。以下、その雑感です。

まず、仮想現実 virtual reality と虚構 fiction (小説など)とは厳
密に区別しなければならないことを感じました。仮想現実体験を僕自身
行ったことがないので、皆さんの一連の御発言から想像するしかないの
ですが、仮想現実とされるゲームでは、現実と虚構の区別が曖昧になっ
ている、ということでしょうか?

・・・それも本当の経験には違いない、というような趣旨の御発言もあっ
たように記憶しますが、一連のスレッドで問題にされてきたのは、
その経験が仮想現実に過ぎないのに、それと相似な現実を体験し
たかのように錯覚してしまうという点にこそあるのでしょう。

純粋に虚構の世界で遊ぶ場合には、そのような錯覚は生じません
ね?

仮想現実ゲームが高度化すれば、治療の道具としても洗脳の道具として
も使えそうですね。まぁ、普通のテレビ放送も一種の洗脳の道具として
使われてきたことは否定できませんが、仮想現実ゲームはいっそう高度
な道具になりうる気がします。小宮さん自身が心配されているように、
おとなでさえはまるのに、子どもの場合だったら、その悪影響力には計
り知れないものがあるでしょう。

このスレッドでは触れられていませんでしたが、僕自身は、仮想現実ゲー
ム固有の問題より、テレビゲーム一般の普及のほうに関心があります。
なぜ、このようなゲームが普及するようになってしまったのか、という
点です。

・・・環境問題との関連で言うと、僕自身は、子どもが健やかに育ちう
る環境の建設が環境問題の中で最も肝腎であろう、と考えている
からです。

・・・仮想現実ゲームを含めテレビゲームは、無機質な体験つまり非動
物的な体験によって快感を与える点で、少なくとも子どもの教育
上は大変危険である、と僕は直感(及び直観)します。

子どもは外で遊べよ、という単純なことです。あるいは、僕がこ
の青空ML発足当時に散々発言したように、「子ども(思春期ま
で)には等身大の(もちろん、迎合した、という意味ではありま
せん)教育を」ということです。

テレビゲーム漬けでは、五感六感のバランスの取れた発達がうま
くいかないのではないか、ということは十分予想されることだと
思うのです。

仮想現実ゲームですと、視覚と聴覚ですか。確か、そのうち、匂
いまででるようなものができる、というような御発言もあったと
思いますが、わが哺乳類にとって最も肝腎な触覚とこころの交感
は、仮想現実ゲームでは不可能でしょう。

・・・もちろん、「こころ」のほうはマシーンに踊らされたうえ
での快感は得られるようになっているのだろう、と思いま
すが。虚構に遊ぶ場合にも似た体験はありますが、疑似体
験にはなっていないために醒めた自分を確保できる点で全
く様相が異なるように思います。

さて、ではなぜ普及するようになったのか。

akira さんの御発言にあるように、大衆にこびる商品である、というの
も一つの原因には違いありません。

・・・因みに、人間が退屈するものでないと現代の経済は成り立たない
でしょう。街には暇つぶしの商品が溢れ返っていますから。でも、
この退屈性は人間の創造性と表裏一体のものでもありますね。新
しいものを生み出す脳は、することがなければ暇を持て余す。

あるいは、新しいものを生み出すためには相当のエネルギー(意
欲)が不可欠ですが、akira さんがおっしゃるとおり、おおかた
は去勢されている。

逆にいうと、この去勢がなければ、この大衆社会を治めることは
できないかも。まぁ、仮想現実ゲームは既に洗脳の道具として機
能しているのでしょう。

遠因のひとつとして、僕は、車の大衆化を考えます。これについては過
去に散々発言しましたが、子どもの遊び場を奪ってきたという点が最も
重要だと考えます。

・・・また、(歩行者の)おとなに対しても「殺されないように」とい
う大きなストレスを日々与え続けてきている点も犯罪的ですが、
今の文脈からは外れます。もちろん、環境汚染やエネルギー問題
に深く密着していることは言うまでもないことです。

遊び場を奪ってきたという点でテレビゲームの普及の遠因の一つである
ことは間違いないと思いますが、車は、同時に、それ自体で子どもに無
機質な体験を積ませている、ということでもあります:歩くのに比べ、
自然との接触のみならず人間との接触も低下するのは歴然ですからね。
でも、おとなの快適性が優先されてきたのがわが国の現状でした。

快適性を求めること自体は人間(動物一般)の性で、これ自体を否定す
ることはできません。ですが、快適性に対して何も対置することなく、
それを求めること(つまり、判断停止)は、人間性の低下でもありまし
ょう。

・・・対置すべきものは、理念とかモラル、あるいは(内的)規範といっ
たものです。現代において、快適性に対置しているものは、コス
トとベネフィットのバランスという経済原理でしょう。

akiraさんのおっしゃる「人間の質の低下」を、僕流にとらえると↑のよ
うになります。では、なぜそうなったのか、、。以上、雑感にしては長
くなりすぎたようなので、またの機会にします。

追記:なお、昨晩思い浮かべたのですが、仮想現実ゲーム、あるいはテ
レビゲーム一般では、ゲーム者が「自動的に主役」になります。これは、
自己中心主義を育成するという点で、極めて危険ですね。そういえば、
車たちも常に道路の真中を我が物顔で突っ走っていきますね。まぁ、常
に真中だけを突っ走ってくれていれば(歩行者としては)よろしいので
すが。いずれにせよ、ドライバーに、そしてそこに同乗するこどもたち
に、自己中心主義を育成しても不思議ではありません。

・・・このスレッドでも散々出てきた「想像力」ですが、怯える歩行者
のストレスや危険に対する想像力がありさえすれば、この世の中
だいぶよくなるはずだと思うのですが、、、いかんせん、現実は
全く逆ですね。

追記2:akira さんの「媚びる」という表現、現今の大学教育にも当て
はまりそうです。高等教育における受益者負担原則の浸透と表裏一体を
なすかのように、大学生が「お客様」になってきたのですね。

後藤 健
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生命を考える http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
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