一之瀬さんこんにちは、小宮です。
> 今更指摘するまでもないことかも知れませんが、1990年の各国排出
> 量を基準にする事自体がおかしい。また、そこからの削減幅についても、
> 科学的、技術的な観点からの、合理的な方針が存在していません。
> これでは、大量の温暖化ガスを排出している国に対して、それを既得権
> として認めてやる一方で、そこからの削減幅については、交渉合戦での力
> 比べで決まることになってしまいます。混乱は避けがたいし、たとえ合意
> に至っても、互いに強い不公平感が残ってしまう。
確かに1990年を基準にするというのもおかしい話なのかもしれ
ませんが、どこを基準にとるのかは難しいところなんでしょう。
CO2排出量の絶対値を基準にとるならエネルギーに大きく依存
している先進国は大昔の生活に戻らなくてはならないし、現在
からの排出量の伸び率で決めるならば、今までほとんどエネル
ギーを使っていなかった発展途上国は納得がいくわけがないし。
先進国でも、どういうエネルギーを主に使っているか、今までど
れだけ省エネルギー対策を行っているか、国土の広さや人口な
ど、様々な要因があるので、結局公平な案というのは出せるわ
けがないのだから、不満が残るだろうけれどもどこかに基準を
おくしかないというところなのではないでしょうか。
環境庁の資料で各国のCO2排出量の推移を表したものがありましたが、
http://www.eic.or.jp/eanet/hakusyo/1998/gif/c1310600.gif
これを見ると、確かに発展途上国は納得がいかないかもしれ
ないですね。先進国の平均が1990年でクロスしているところを
見ると、1990年というのは、先進国間だけでは納得がいく案
だったのかもしれません。
> 削減目標が、このように説得力を欠く内容であれば、各国の政府代表は
> なおのこと大きな削減に同意し難くなります。
> 政府は、国民に対して排出削減への同意を求めなければなりませんが、
> なぜその削減幅であるべきなのか、説明できないような削減案など、国民
> に支持して貰えるわけもありません。むしろ、民主主義がまともに機能し
> ている国ならば、そのような根拠不明の削減案は、葬り去られてしまって
> しかるべきではないかとすら思われます。
>
> 個人的には、COP3の不合理な(というより、”丼勘定”と形容して
> もよいような)合意内容を一旦破棄して、”エネルギー効率”の観点から
> 各国比較を行って、再度削減目標を設定し直すべきではないかと考えてい
> ます。
> 民主主義という政体を前提とする限り、国民の生活様式に変更を迫り、
> 生活水準を大きく落とすような削減策を、国家権力が主導して実行するこ
> とは非常に難しい。となると、政府に出来るのは、効率改善を促すぐらい
> しかありません。
> 究極的には、生活様式そのものを変更する必要が出てくるでしょうが、
> これを国家権力によって実現するなど、全体主義そのものです。その危険
> な副作用については、改めて指摘するまでもありません。結局、国民一人
> 一人がそういう意識を持たないことには、どうにもなりません。NGO等
> の地道な活動に期待したいところです。
結局は、一人一人の環境に対する意識を高めるのが一番の
方法なんでしょう(人のことはあまり言えないが…)。でも、
それには時間がかかるので、民主主義の政府にできることは、
経済効果をうまく利用してCO2削減の方向にもっていく、という
ことぐらいになるのでしょうか。そういう意味では環境税はうまい
案かもしれません(CO2を削減するほど出費が減るから)。
> しかし、COPの場で、今更”エネルギー効率の観点で目標を決め直せ”
> と主張しても、受け入れられるとはとても考えられません。
> 返す返すも、COP3における方針選択のミスが悔やまれます。
>
>
> 小宮さん<
> 環境税を導入する代わりに、その分減税する、という案が出ていました。
> >
> 増減税の中立は、景気への影響が中立であることを意味しません。
> GDP/温暖化ガス排出量の比率が向上(=広い意味での効率Up)し
> ない限り、増減税中立であっても、環境税は景気にはマイナスに寄与しま
> す。
確かにそうですね。まあ、生産して消費する(CO2を排出する)こと
が景気を高める方法なのでしょうから、完全に景気向上とCO2削減
が両立する方法なんてないんでしょうね。
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