[BlueSky: 2545] Re:2542 人間の quality


[From] "akira " [Date] Mon, 4 Dec 2000 15:20:13 +0900

こんにちは、akiraです。

葛貫さんwrote:
> akiraさんの書かれたものを読んで、地震、火山の噴火、洪水等、
> 今年多発した自然災害のことを思い出しました。
> 心地好い人工世界が存続するという仮定の上にたてた見通しや
> 予定は、自然災害によりあっという間に崩されてしまう。

確かにその通りですね。でも、果たして人工に対置する自然だけが
問題なのでしょうか?

コンクリートの耐用年数は大体50年といわれています。それを基準に
およそ40年前後の数値をはじき出して、多くの建造物が設計、施工
されています。
でも、この40年というのは机上の、いわば仮想の理想値であって、
そこに、人間の愚かさや欲望という因子をインプットすると、手抜きやら
水増しやらが頻発して、たちまち耐用年数は10年以下に下がってしまう。

一時期世間を騒がしていた、新幹線のトンネル内壁コンクリートの剥落
なんかがその典型で、たった1メートルほどのかけらが剥がれ落ちただけで
システム全体を震撼させる様な大騒ぎになってしまった。
そして専門家曰く、「こんな事は本来あり得ない事態です」と言うわけです。
そう、仮想の上ではあり得ない。けれど「現実」には起こっているのですね。

明治時代に造られたコンクリート建造物が、現在でもしっかり現役で頑張って
いる、と言います。現在よりはるかに劣っていたであろう建築技術が
何故、百年を超えて生き続けているのか?
ぼくが思うに、それは人間のクオリティではないでしょうか。
文明開化して、欧米列強に追いつけ追い越せと、国全体が登り調子の時に
は、人々はおしなべてひとつの気概を持っていた。
それは、「よーし、天下国家に恥じないものを造ろう!」とでもいう様な・・・
千数百年立ち続けている法隆寺にしても、宮大工さんの言う、「樹齢千年の
木を伐って使うなら、千年は立ち続けるものを造らなければ・・」という言葉に
それが表れていますね。
現在、国家的規模の建設プロジェクトでも、それに関わる人間の内何人が
「よーし、天下国家に恥じないものを造ってやろう!」という気概を持って
いるでしょうか?中でも、直接素材、生コンなら生コンに触れる人足レベルで
果たして、そんな気概を持った人間が居るでしょうか?
明治時代には、おそらく人足レベルでもその気概が存在していたのでしょう。
そう、人間としての気概、そしてクオリティです。それが現在ほど劣化して
いる時代はなかったのでは? そう思います。

ひたすら自分たちの犯罪行為を隠蔽する警察官。患者を殺して平然と口を
ぬぐう医者や看護婦。恥を知らない政治屋、淫行にふける教師達・・・
制度疲労なんてきれいごとを言ってるけど、その実は人間のクオリティが
急激に劣化しているというのが実態じゃないでしょうか。
モラル・ハザードという言葉に、それが端的に表れている気がします。
どんなに机上の仮想プランが立派なものでも、それを製造、管理、運営して
いく人間自体が著しく劣っていたら、仮想は文字通り砂上の楼閣になって
しまう。環境問題にしても、世界中の天才秀才が知恵を集めても、それを
実行すべき人間のクオリティが著しく劣悪だったら、なんの意味もないでしょう。

これからの時代、文明の存続を脅かす本当の脅威は、外から来る自然災害の
猛威よりもむしろ、この人間の劣化による文明システム内部からの自壊作用
ではないか・・
そんな気がするのですが。

みなさん、どうお考えですか?


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