たびたび、akiraです(笑)
葛貫さんwrote:
> 「生が結局は、各種の時間潰しの堆積であるならば、その合間に、
> ちょっと夢中になれる、あるいは夢中になった振りのできる気晴
> らしがあることは悪いことではない。」 (「されどわれらが日々」
> 柴田翔 文藝春秋)、という言葉を思い出しました。
> 「生が結局は、各種の時間潰しの堆積であるならば」という仮定は、
> 生存のための条件がある程度満たされている場にいる人間が抱く、
> 贅沢な想いなのかもしれません。
小人閑居して不善をなす。と言います。有閑マダムという言葉もあり
ましたね(笑)
結局、この文明という代物は、閑居する小人を大量生産するひとつの
システムなのかも知れません。
裸足で荒野を歩いていた石器時代、生は決して退屈な時間潰しなどでは
なかったはずです。
また、仮想現実に戻りますが、結局、我々が仮想の中で体験している事は
本当の意味での経験ではありません。けれど、我々は仮想の森をくぐること
によって、現実の森を理解した気になってしまう。
本当の意味では知らないのに知った気になってしまう。
そして、人生に退屈してしまうのでしょう。
退屈だァー!と閑居して、キョロキョロと不善を漁る。そして、この不善に
協力するような商品が、また飛ぶ様に売れるんだナ、これが。
長らくROMしていたのですが、書きはじめると止まらない(笑)
どうも血が熱いので申し訳ないです。
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