akiraです。
例えば、ぼくがきれいな夕陽を見てすごく感動したとしても、
太陽はぼくを感動させようとして、そこで輝いているわけでは
ないですよね。
自然というのは、決して、人に媚びたりしないからです。
これは人間関係でも一緒。ぼくの周囲の人間は、よっぽどの
力関係の差でもない限り、ぼくに対して媚びたりしません。
それは、小さい子供や、動物の子供がじゃれ合っているのを
見れば分かります。もう容赦のない叩き合いの中で、自分の
立場を築いていきます。
昔の梅干しは酸っぱかったですね。顔がひん曲がりそうなほど
情け容赦なく酸っぱかった。
でも、最近の梅干しは、減塩だ、うま味だ、言って、添加物入れ
まくりで、とてもマイルドで口当たりがいい。
何故だと思いますか?
それは、現代の梅干しが、基本的に商品であり、消費者に買って
もらうことを第一義としているからです。
当然、買ってもらうために、消費者に媚びるわけです。あのマイルド
な味は、消費者の嗜好に媚びた結果なのですね。
昔の梅干しは基本的に自家生産、自家消費でした。だから人間に
媚びることもなかったし、媚びる技術も持たなかった。
バーチャル・リアリティにも、まったく同じことが言えます。
このVRは、基本的に商品として、我々の前に提出されます。
当然、商品として、我々に買ってもらうことを第一義として作られ、
その結果として、消費者の嗜好に媚びてしまうのです。
我々を取り巻く本当の現実は、決して我々に媚びることをしません。
ですが、仮想現実はとことん我々に媚びて、口当たりのいい、心地よい
刺激に満ちた、商品なのです。
この違いは、余りにも大きすぎる。
子供というのは、テレビゲームに耽っている今この瞬間にも、その脳は
その注ぎ込まれる情報に対して順応し、適応していきます。
つまり、ひたすら自分に媚びる情報に対して、脳はどんどん適応して
しまうのです。ところが、我々を取り巻く現実の環境世界は、決して、
我々に媚びるものではありません。
それは、文明がどんなに発達して、心地よい人工世界を構築しても
基本的には変わらないでしょう。
もっとも端的に言えば、お釈迦さんの昔から、絶対に人間に媚びない
現実として、「老・病・死」があげられますね。
絶対に媚びない「現実」と、とことん甘く媚び続ける「仮想現実」との
とんでもないギャップこそが、問題になるのではないでしょうか?
(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。