[BlueSky: 2452] 環境問題の根底にあるもの。


[From] "勅使川原覚" [Date] Thu, 19 Oct 2000 19:03:00 +0900

 < 動物としての人間 >

 みなさん、初めまして。akira です。
 MLは初めてなので要領が分からないのですが、とりあえず
学生時代に書いた環境関連の文章を送ります。

 週間朝日百科世界の地理110 P11−252より         

 狩猟と採集を生業とする人々の生活は、自然に大きく依存し、
その地の生態系に適合した生活システムを維持しなければ、
自然の調和を保つことはできない。だから、彼らの生活には多く
の禁忌が存在し、それが狩りの方法や食料をも規定している。
彼らにとって食は、単なる栄養補給の手段ではなく、深い文化
的な意味と機能をもっている。
 たとえば、ムブティ・ピグミーは食料にする200種あまりの動
植物のうち、約半数の94種を何らかの規制の対象と見ている。
その食物規制のしきたりは多様だが、生まれてから死ぬまでの
生涯にわたって守らなければならないものもある。自分の出身
集団の象徴動物(ンギニソー)を食べてはならないというのが
それである。そのため、野牛がンギニソーとなる者は、生涯に
わたって野牛を食べることはできない。このタブーは、一方で
自分の所属する集団を確認させ、アイデンティティーを保持する
という社会的に重要な機能を果たすが、他方、動物の保護と
生態系のバランスの保持にも役立っている。
 しかし、近代化とともに人口が急増し出すと、食のタブーは
侵される。そして狩猟は、本源的であった食の文化を離れ、
武勇の誇示と娯楽の手段となっていく。アフリカをはじめ、世界
各地の野性動物が絶滅の危機にあるのは、名誉と楽しみの
ための狩りがスポーツの名のもとに、公然と行われるように
なったからである。なにしろ、ひとりで生涯に55万6千匹の鳥を
落として、ギネスブックに載っているイギリスの貴族(第2代リボン
侯爵、1852−1923)もいるのだから。 (佐伯聡夫)

@ オーストラリアにはディンゴという野性犬がいる。アボリジニー
の祖先が1万年以上前にアジアからオーストラリア大陸にわたって
きた時、一緒に連れてきた飼犬の子孫と言われる。彼らは長い
年月のあいだに、大陸の生態系の中で固有のニッチを確立した。
だから、彼らが大陸の同居人である有袋類を殺すのは食べる為に
であって、決していたずらに殺戮することはないという。しかし
大航海時代をむかえヨーロッパ人が大量の羊を大陸外から持ち
込んだ時、ディンゴは狩りにおける生態学的な慎みを忘れて、羊
たちを、まるでスポーツであるかのように殺しまくり、牧場主から
「悪魔」として恐れられた。
 イギリスの貴族にとってアフリカの野性生物は、ディンゴにとっての
羊とまったく同じように、歴史を共有しないよそ者だった。生態学的
にみて、生物複合社会における相互共生関係が結ばれていない
生物種の間では、闘争は激化し、それは端的に、強者による弱者の
殺戮という形であらわれる。ヒトもディンゴも変わりはないのだ。
 第二代リボン侯爵に代表される欧米人の優雅なハンターたちは、
アフリカや南北アメリカ大陸にとって、悪魔そのものではなかった
だろうか?
同じように、在来魚にとっての ブラックバスも・・・・   (akira)
                                



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