[BlueSky: 2412] Re:2409 奉仕よりも生活教育を


[From] Minato Nakazawa [Date] Fri, 29 Sep 2000 08:15:44 +0900

中澤@東京大学人類生態です。

(件名:[BlueSky: 2409] 奉仕よりも生活教育をに於て)
Thu, 28 Sep 2000 21:16:13 +0900頃,Y.Kuzunukiさん:
> 貴重な体験だったと思います。(大学の畜産科や獣医科だと、解体して
> 食べちゃうこともあるらしいですね。小学校では、しませんでしたが・・・。)
実は最近,解体すると違法だという話を【ネット人類学ゼミ】の投稿
http://www.human.ne.jp/~jinrui/wforum/wforum.cgi?no=870&reno=854&oya=853&mode=msg_view
で読んで,そんなバカな話はあるか,死んだら食べなくちゃ家畜だって
報われないじゃないかと思って検索したところ,
http://wwwcl.mhw.go.jp/~hourei/html/hourei/contents.html
の第5編第2章第3節にある
「と畜場法(昭和28年 8月 1日法律第114号)」
の第9条によれば,都道府県知事に届けて許可を得ればいいみたいです。
#法律の条文はわかりにくいので自信はないですが,そう読めます。

解体みたいな生々しさから目をそらすというのは,死体がなるべく
目に触れないようにするとかと同じで,剥き出しの身体を社会から
隠すという方向性で,社会の脳化の必然的帰結ではあると思います。
身体に対して脳を優位にもってくるという,ヒトの進化の方向性だ
と,たしか養老孟司さんの解剖学の講義で聞いた覚えがあります。
[BlueSky: 998](http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/mllogs/bluesky/998.html)
で都市のバーチャルリアリティ性,つまり脳にとっての現実性という
話に触れられていますが,その話の延長にあります。「唯脳論」に
も出ていたような気がします。

さてしかし。身体を社会から隠すという文化には,いろいろな弊害
があると思います。身体は,自然環境の悪化に対して,たぶん誰の
身体でもヒトなら同じように悲鳴をあげると思いますが,脳は自分
に都合のよい現実しかみませんから,人によって認識も反応も違って
くるわけで,社会の脳化が進展するほど,世界認識の共通基盤が
失われ,意思の疎通が難しくなるように思います。

先日,オリンピックの女子マラソンで優勝した高橋尚子選手がインタビュー
に答えて,自分の身体と対話しながら走ったというような内容のこと
を話していましたが,彼女の強さと明るさのポイントの一端は,
この,いわば心身一体感にあるのではないかと思いました。
狩猟採集社会で生きる人々は大抵,経験に基づいて自分がなにもの
であるかをよくわかっていて,身体の調子をうかがいながら生活して
います。ぼくには,時折,彼らの方が生命として幸せなのではないか
と思えることがあります。

考えてみれば,文化は脳を通して身体に働きかけるので,脳が優位
になることは個体性よりも社会性が優位に立つことを意味するのに,
脳自体は自身の自律性を求めたがるから,脳化社会は,個人主義と
社会による個人のコントロールの両方を求めることになって,矛盾
しそうな気がします。

何度か,「生きるという実感」と書きましたが,身体性の復権と
いいかえてもいいかもしれません。
#話が拡散してしまってすみません。

> 農作業や飼育を計画し、付き合って下さる先生は、本当に、大変だと思
> います。クラスの担任にならず、このような作業を担当する教員がいても
> いいのでは、と思いました。
そうですよね。しかし,いい学校ですね。

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Minato Nakazawa, Ph.D. <minato@sv3.humeco.m.u-tokyo.ac.jp>
Department of Human Ecology, Univ. Tokyo
[WEB] http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/~minato/index-j.htm


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