[BlueSky: 2359] Re:2356 労働と教育


[From] Ken Goto [Date] Fri, 15 Sep 2000 18:16:20 +0900

青空MLの皆さん
                    後藤@帯畜大です。

長谷川さん、はじめまして、こんにちは。

長谷川さん【2356】:
> > (3)こどもは、地域の中で、年少者として出発し、年長者へと成長していった。
> > つまり、「守り守られる(愛し愛される)」という基本的人間関係が、地域での日常
> > 的な遊び体験の中心にあった。言いかえると、子どもグループによる共同保育が現実
> > に行われていたといってよい。
>
> →私自身、ここまで自然と密着した環境ではありませんが、似たような環境で育ちま
> した。
> 「地域の子」として育つデメリットとして、既存の子供グループになじめない子、つ
> まり異質な者はいじめられやすいということがあります。日本人、特に女の子は異質
> 性に敏感であり、また人間は敵を作ることで集団の結合意識
> が高まるので<社会学者ジンメルの理論>、欧米等の個人主義的環境で育つ子に比べ
> て、日本はいじめで深く追い込まれることが多いと言えます。

【敵を作ることで集団の結合意識が高まる】ことは真実でしょう。しか
し、だからといって、それが【欧米等の個人主義的環境で育つ子に比べ
て、日本はいじめで深く追い込まれることが多い】という命題の真実を
保証するものではないでしょうし、まして原因であることを示すもので
はないでしょう。

僕が述べた地域の状況は今から30〜50年ほど前の事柄です。その当
時の日本は、今よりもずっと「個人主義」の度合いが弱かった、と思い
ます。同時に、こどもの「いじめ」も話題にすらならなかった時代です。
こうした事実は、【欧米等の個人主義的環境で育つ子に比べて、日
本はいじめで深く追い込まれることが多い】という命題が成り立ち得な
いことを示していると思います。

子ども社会の中における「異質な者」という感覚や概念自体、僕が幼年
期、少年期を過ごした時代には無かったような感じがします。例えば、
もう殆ど耳にしなくなりましたが、「ネクラ」というレッテルを初めて
耳にするようになったのは、20〜30年ほど前でしょうか?
・・・真面目であることが疎まれるとは世も末ですね。

また、町内会(50軒?ほどで、地域の構成単位)には知的障害児が少な
くとも一人はいましたが、仲間はずれにされた事実はありません。
・・・その子(僕より、3,4歳上)に、僕の頭ほどもある大きな石を上
から振り落とされたことがあります。おかげで、天才となるべき
頭脳が壊されてしまったのが悔やまれます(というのは嘘)。

また、子どもグループは緩やかな離合集散を繰り返す「半開放的」なも
のだったでしょう。

【敵を作ることで集団の結合意識が高まる】ことに戻ります。地域の中
で子ども集団が敵対関係になったことは、少なくとも僕が知る限りは全
くありません。また、集団内部で「戦争ごっこ」を初めとする、遊びと
しての「敵対」がふんだんにあったことは、今日の「いじめ」を考える
うえで重要な点だと思います。

なお、集団としての本当の「敵対」を初めて経験したのは(というより、
それが唯一だったのですが)、小学校高学年のときでした。それは、思
春期を迎えた女子(この時期のみ女子が男子より優位になる、と思われ
ます)が先導したグループです。僕なぞは、二つの女グループの奪い合
いの餌食にされて困惑したものです。**君、私とあの子とどっちとる
のよ!ただし、いじめはありませんでした。

・・・誤解のないよう付け加えておきますが、子どもどうしの喧嘩はよ
くあったことです。

また、転入生、貧困家庭の児童、母子家庭の児童、成績の悪い子
などは、今なら格好ないじめの対象かもしれませんが、少なくと
も僕の友達の中でいじめられた子は一人もいませんでした。

長谷川さん【2356】:
> > ・・・この点は、それ自体で極めて重要な点ですが、その外にもメリットがありま
> > す。親の育児負担が今よりずっと軽いというだけでなく、「親(大人)のおしつけ」
> >がとても少なくなります。
> →私は子供が育つ上で、親(大人)のしつけは重要だと
> 思います。塾の講師{学級崩壊という本のモデルとなった学校やその地域の子達を教
> えてました。}をしていたのですが、最近の子は「自由」は「責任」と表裏一体と
> なっていることも知らず、言葉使い、基本的なマナー等があきれるほど出来ていませ
> ん。教育について教師の責任も言われていて、事実、生徒の話ではひどいありさまな
> のですが、
> 親が教え無ければならないこともあると思います。
>  子供は、バランスをとる能力に欠けるので、遊びでも、
> 夢中になるととことんやって、時には事故を起こしてしまう。また想像力に欠ける子
> もいるので、自分の言動が、どれだけ相手に痛みを与えるのかも大人が注意をしない
> と分からないということがあります。

ちょっと読み違えちゃったのかな?「親 (大人)のおしつけ」は、「親
(大人)のお躾」ではなく、「親(大人)の押し付け」のことです。

長谷川さんの↑の最後の四行についてですが、【子供は、バランスをと
る能力に欠ける】のではなくて、【バランスをとる能力を訓練すること
のできなかった子ども】と、言うべきでしょう。その訓練は、むかしは、
子どもの遊びのなかで自然に行われていたのです。だから、親や周りの
大人が注意をする必要は全くなかった、といってよいでしょう。

・・・ただ、前にも話題にしましたが、今思い返してもとても危険だなぁ、
と思われる遊び「も」嬉々としてやっていました。最たるものは、
石投げ合戦です。_−−ーーー_ 左図のように、2,30メートル
離れたところのくぼ地が互いの陣地です。打たれて泣いて帰って
も母は慰めてはくれず、やり返してきなさい、と言うだけでした。

さて、肝腎の「押し付け」ですが、遊びについて言うと、それは、親(大
人)に遊ばせてもらってる、ということです。遊びは、子どもの創造性
を育てる場でもありますから、遊ばせてもらっていては駄目なのです。

より全般的に言うと、「お受験」に象徴される、親の道具、玩具として
の子育てを指すつもりで「押し付け」と言ったのでした。

> > (4)近所づきあいは、「長屋的」であった。大人どうしが「お互い様」の関係に
> あったようで、当然、子どもたちは、地域のいろいろな大人によっても守られてきま
> した。
> →ヨソの人と、教育方針が違った場合、子供は混乱が
> 生じないでしょうか。
なかなか面白い発想ですね。
まぁ、深窓のご令嬢を育てることには不向きであるかも知れませんが。

また、親の教育方針が、親の価値観の押し付けと言う点にあるなら、確
かに子どもは混乱するかもしれませんね。

でもね、母親に叱られても、隣のおばさんに慰めてもらうと、にこっと
できますよ。

いずれにせよ、幼少年期に必要とされる「躾」のレベル(つまり、基本
的な善悪感)で大人どうし食い違う面というのは全くないことでしょう。


> > 農業切捨て政策を背景とした高度経済成長政策」にある、と僕は考えています。
> →面白いですね。私は、国際化を短絡的に欧米化と思い込み、個人主義の急激な流行
> による価値観の多様化が原因だと思っています。 
ここは、地域崩壊の原因についてでしたね。
「個人主義」と言ってよいかどうかは措くとしても、【農業切捨て政策
を背景とした高度経済成長政策】は、その急激な流行の原因の一つにも
なっているのではないでしょうか?

【価値観の多様化】って、何でしょうか?本当に、多様化してきたので
すか?

> >「干渉するな」と撥ね退けるためには、「自立した大人」として「全責任」を負う必
> > 要があります。以前のメールで、正しく「強く」朗らかに、と述べましたが、僕の想
> > 定している「強さ」は、そのような「全責任」を負う強さではありません。事実、僕
> > 自身は大変な甘えん坊であり(厄介ものであり)、子育てでも、近所の方々に大いに
> > 甘えてこれたこと、深く感謝しています。
> →心理学者河合焦雄さんの著作「こころの処方箋」に
> 「自立は依存に裏付けられている」というのがあります。幼いうちに甘えさせること
> は大事なようですね。
確かにそのとおりだと思うのですが、それは話しの半面でしょう。近年
の子どもたち(長谷川さんの世代を含みます)は、親(大人)に叱られた
経験が余りない(または、殆ど全くない)ケースが多いような印象を受
けます。どうでしょうか?


後藤 健
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生命を考える http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612


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