[BlueSky: 2360] Re:2349 地域社会と個人


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Fri, 15 Sep 2000 21:12:12 +0900

こんにちは、葛貫です。

自己レスです。

葛貫【2349】:
>「個人的な体験」ということで表現したかったのは、「個人の心の
>成熟をもたらす体験」ということです。
>心の成熟の定義は?というと、give and takeのバランスをとる、
>主張する権利に見合った義務を請け負うというようなものでしょうか。

私が、考えていた自律・自立というのは、一人で全てを背負うという、
所謂、「自立した女性」のイメージではありません。

たして2になればいいんじゃないという、極めてアバウトな生活をして
いるので、「エッ、どこの誰の口から、自立した女性なんて言葉がでる
んだい?」と、夫は、大笑いするでしょう。

子育てだって、乳児のときは4人とも、自分の近くを離しませんでした
が、ある程度の年齢になると、後藤さんが仰しゃった、

> (3)こどもは、地域の中で、年少者として出発し、年長者へと成長し
> ていった。つまり、「守り守られる(愛し愛される)」という基本的人間
> 関係が、地域での日常的な遊び体験の中心にあった。言いかえると、子
> どもグループによる共同保育が現実に行われていたといってよい。

> ・・・この点は、それ自体で極めて重要な点ですが、その外にもメリッ
> トがあります。親の育児負担が今よりずっと軽いというだけでな
> く、「親(大人)のおしつけ」がとても少なくなります。

が、兄弟姉妹の中で行われたし、意地悪姉ちゃんが子供にどんな仕打
ちをするか熟知している実妹が近所に住んでいるので、子供達は私と
喧嘩すると、すぐ妹のところへ行くし、逆に、種子を植えると、どのくらい
育ったか、毎日、掘り返して確認しなければ気が済まない子供だった妹
の子供達は、いい加減な我が家によくきます。

私の考える自律・自立は、このような「私達」の中で権利と義務のバラ
ンスをとり、収支決算を合わせるという程度の都合の良いものでした。
「私達」と思える範囲は、人によって異なり、それが、いろいろな問題を
引き起こすのだと思います。また、ある程度、自己制御できなければ、
「私達」の中で権利と義務のバランスをとるのも、難しいと思います。

後藤さん:
>>「子守り」修行もろくにせずに親になってしまう親も増えてきた。
葛貫:
>そして、社会が提供するサービスに子供を委ね、親となるチャン
>スも失われ、30歳の子供、40歳の子供がウヨウヨすることになる
>のかもしれない、です。

↑これ、ごめんなさい。
子育てをしていれば、大人というわけではないですよね。
皆さんは、大人の条件は、何だと思われますか?




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