[BlueSky: 2351] RE .地域社会と個人


[From] "gengorou" [Date] Mon, 11 Sep 2000 20:44:57 +0900


ゲンゴロウです。
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「地域社会と個人」について、皆さんの話に添っていない
かもしれませんが、思うことがありますので書かせていた
だきます。

−−−−−−−
人間が地域を離れてしまうのは、人間の「肉体と意識」が
離れられるということが原因になっているように思います。

【脳と脳の会話】
私、電話で人が話しているのを見ていると、脳と脳が肉
体に関係なく交信しているように思えて人間って、おか
しな(すごい)動物だな〜と思ってしいます。
それを考えて、地域社会から個人が離れてしまうのは当然
ではないかと思ってしまいます。意識が離れられれば、
人間の存在の半分は遠方に行ってしまうわけですから。。
体があっても本体(心)はそこに在らずというか・・・・。

このことは、通信手段の発達したせいだからだと思いますが、
それにしても、もっと発達したら意識と肉体は完全に分離して、
肉体に関係する事柄(死、出産、取っ組み合い、抱擁など)は、
なんか、特別な出来事になって、人間は肉体に関することに
どんどんと不慣れになってしまうような気がしてしまいます。
(う〜ん、、うまく言えない。。。)

【好き嫌いの顕著化】
次に思うことは、交通手段の発達です。
通信技術(IT)の発達もそうですが、交通手段の発達が、
物理的な近隣の知り合いよりも、広範囲の知り合いを持つ
ことを可能にしていると思います。

このことは、私たちに、「好みの選択の可能性」を広げて、
結果的に私たちは「好みにうるさくなった」のではないでしょうか。
考えが合う人間や、好みが合う人間を広い地域に渡って探し、
あまり好きでない人間とは付き合わない。
このようなことをしていると、結果的に何が起きるかというと、
好みにうるさくなり、いざというとき(子育ての時など)身近な人と
うまくつきあえなくなるかもしれません。

【希薄な人間関係は結果か原因か?】
「情報通信の発達」と「交通手段の発達」とが身近なつき合いを
無くしているのなら、地域活動や地域の関係が崩壊する現象は
必然的な結果であって、地域関係の復活は、流れに逆らう運動
になっていると考えられます。
すなわち、人間に強いる行為になるような・・・

ただ、考えてみると、情報通信の発達や交通手段の発達を
促進したものは何かを考えてみますと、産業が求めた動きと
言うより、私たちの意識(脳)が促したとこととして考えら
れます。たとえば、携帯電話が普及したことや、自家用車
(マイカー)が普及したことなどです。
それって、実は、私たち自信が「希薄な人間関係」を求めて
いるのではないでしょうか。。地域社会が崩れた現象は、そ
の結果のような気がします。
私たちは、「希薄な人間関係を望んでいる」ような気が
してなりません。
人間には、「群れる状態が好きで個も好むという二面性がある」
と思いますが、その性質こそが、地域社会を崩壊に追いやって
いると考えていいような気がします。

簡単に言ってしまうと、私たちは煩わしいことを嫌い、安易な
ことだけを好むということが、地域崩壊を生んだことになりま
す。
結果、子育てとか助け合いのときだけ地域にすがるという現象
も生まれ、そんな虫のいいことは、互いが「ごめんこうむる」
ということになって、地域社会が壊れてしまい、若い夫婦は、
いざ子育てになると、孤立したりしてしまい、その延長上に、
生まれた子ども達にも地域が関係してこなくなるように思え
ます。そして意識が肉体から離れている親が子育てをすると、
子どもの存在が意識の離脱を妨げるために、虐待が生まれて
しまっているのではないでしょうか。。。

かなり極論を書いてしまいましたが、私にすると、町を歩いて
いるとき、意識が何処かへ飛んで行ってしまっている人を
たくさん見かけます。

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いつにも増して、、うまく書けませんでした。。
                 ゲンゴロウ。








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