[BlueSky: 2346] Re:2345 地域社会と個人


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Mon, 11 Sep 2000 11:09:55 +0900

こんにちは、葛貫です。

中澤さん【2345】:
>「村八分」とかいった厭なイメージがありますよね。全体主義の悪
>夢もありますし。しかし,環境問題を考えてみてもそうですが,多
>くの局面で人は地域社会の中で生きています。ところが,個人主義
>尊重の美名のもとに地域のまとまりを失った社会では,得てしてこ
>のことが忘れられがちなような気がします。

はい。
そのような視点からの見解を、安井至さんも昨日サイトにアップ
していらっしゃいました。
「市民のための環境学ガイド時事編:2000年版」
http://plaza13.mbn.or.jp/~yasui_it/
人類と社会(1) http://plaza13.mbn.or.jp/~yasui_it/HumanSoc1.htm
人類と社会(2) http://plaza13.mbn.or.jp/~yasui_it/HumanSoc2.htm

両者のバランスを取れることが望ましいというか、全体主義と個人主義
の間で、行き過ぎたと気付いた時は戻る振り子のようなあり方しか、
できないのだと思いますが、それにしても、私が実感している地域社会
は、江戸時代の5人組み、戦時中の隣組を復活させようとしてるんじゃ
ないの?という印象が強いです。奉公する「公」が、地域に住む個々人
の望みを調整した滅私に値する質を持っているかを確認もせずに、上
意下達のかたちで、「滅私奉公」を要求されても迷惑だな、と思います。

>本来,というのは難しいのですが,多くの伝統社会では,子育ても
>仕事も介護も死に行く人を看取ることも,個人的な体験ではなく,
>地域社会に起こるできごとだと思います。

言葉が足りなくて、ごめんなさい。
例えば、「保育所をつくりました。夕方5時まで、いえいえ、7時まで、9時
までだって、延長保育いたしますよ。さあさあ、親御さん達、心置きなく
働いて下さい。」というのは、有り難いことのようですが、保母さん一人当
たり何人の子供を見るのか、一人の保母さんが何年、何か月、持続的
に一人の子供に関るのかな、と思います。
そのなかで、「星の王子さま」にでてくるバラのように、唯一無二のバラと
して大切にされる体験を幼い子供ができるのか、唯一無二のバラとして
大切にする体験を親ができるのか。乳幼児期に、そのような育て方をさ
れることが、人にどのような影響を与えるのかは、その子供達が子育て
をする時になってみなければわからないのだと思います。

一緒にいる時間の長さが問題じゃないよ、と言われれば、それもそうだ
し、経済的な事情もあるし、一緒にいない方が良いような心の病んだ親
もいるわけだし、十把一絡げに言うことはできませんが・・・・・。

また、死に行く人を看とるということは、その人が生きている間に深く関
った人との別れの過程で、極めて個人的なものだと思われます。
丁度、治る見込みがない義父と向かい合っていた時期に、別のMLに
下記のように投稿しました。

(臨死体験を研究している)キューブラ=ロスさんの本には、助からない
病気であることを告知された人は、衝撃を受け落ち込み、何故自分がと
言う怒りを感じ、「〜しますから、助けて下さい。」という取り引きを試み、
やがて死を受入れ、残る人と必要な和解、別れを交わす、という過程を
辿るというようなことが書かれていたと記憶します。
それに付き添う人には、自分の死も意識せざるを得ないわけで、大変な
精神力がいるだろうな、と思います。この過程を知っていても、「もういい
加減に、次の段階へ行ってよ。」なんていう思いが態度にでてしまったり
したら、信頼関係が決定的に損なわれるわけで・・・。

臨死体験は、ヒトの脳が死を受容するためにつくり出した幻想であるか
もしれない。でも、何らかの「物語」があった方が、自分の死を受入れ易
いのだろうな、と思いました。(怪しい宗教が儲けるために使われては、
困りますが。)
#↑のような意味で、中澤さんの
# >それらのイベントについ
# >ては,その社会で長い間に淘汰されて残ってきたさまざまなしきた
# >りがあり,それによって人は安心して生きてゆくことができました。
# に、同意します。

過剰な負担の緩和の反面、労働力の確保のような意識が働いていて、
介護の専門家をつけてくれるという親切の代わりに、「残る人との和解」
という個人的な体験を味わう機会が、失われてしまったら、どうなんだろ
う、と思います。

仕事に対する責任も果たさなきゃいけないし、看取りや子育ては、負担も
大きく、鬱陶しいことも多いです。「地域や公が肩代わりするから、働いて
下さい」っていうのは、一見、有り難いけれど、労働力確保のために、個人
的な心の体験が削減され、大量処理されているような、気がしないことも
ないのですが・・・・・。


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。