[BlueSky: 2345] 地域社会と個人 Re:2340 労働と教育


[From] Minato Nakazawa [Date] Mon, 11 Sep 2000 07:49:02 +0900

中澤@東京大学人類生態です。
あんまり考えを詰めないで感覚的に書いていますので,間違いがあ
ったら厳しく指摘してください。

(件名:[BlueSky: 2340] Re:2331 労働と教育に於て)
Sat, 9 Sep 2000 10:59:24 +0900頃,Y.Kuzunukiさん【2340】:
> こんにちは、葛貫@4児の母です。
>
> >中澤さん【2331】:
> >地域と社会が教育に冷たいという指摘
> >は,多くの都市で地域社会が崩壊している現状を考えれば空疎に聞
> >こえます。むしろ地域社会の再生を謳ってほしかったと思います。
>
> この「地域の再生」にも、難しい問題があるように思われます。
> 「地域のため、皆のため」というスローガンは、耳に心地好いけれど、
> 私には、この言葉が、一種の脅迫のように聞こえます。
葛貫さんが懸念されていることはわかるような気がします。
「村八分」とかいった厭なイメージがありますよね。全体主義の悪
夢もありますし。しかし,環境問題を考えてみてもそうですが,多
くの局面で人は地域社会の中で生きています。ところが,個人主義
尊重の美名のもとに地域のまとまりを失った社会では,得てしてこ
のことが忘れられがちなような気がします。

> 子育て、仕事、介護、死に行く人を看とるということ、揺りかごから墓場
> までの諸々のことは、本来、個人的な体験なのだと思います。
本来,というのは難しいのですが,多くの伝統社会では,子育ても
仕事も介護も死に行く人を看取ることも,個人的な体験ではなく,
地域社会に起こるできごとだと思います。それらのイベントについ
ては,その社会で長い間に淘汰されて残ってきたさまざまなしきた
りがあり,それによって人は安心して生きてゆくことができました。
# ご発言の主旨を誤解していたらごめんなさい。

しかし現代ではライフコースが多様化しているために,個人個人の
事情が違うことが重視されるようになり,それ自体は個性を尊重し
た自己実現のためにはいいことだとしても,副作用として,生きる
上での共通基盤となる地域社会が崩壊してきました。

げんごろうさんが【2336】で
> もしも私たちの住む社会システムの中に、「規則が厳しい環境
>では規則を逆手に取る者が勝者となる仕組みがある」
と書かれましたが,ぼくにはむしろ,「規則を逆手に取る者」は,
社会というシステムを意識していないのではないかと思われてなり
ません。地域社会が崩壊したことによって,身近な世間(いいかえ
ると,自分の行為が自分に跳ね返ってくるようなまとまり)がなく
なったが故に,歯止め無く短期的利己的行為をする人が出てきてい
るように感じます。

地域社会で生きることは,多くの場合有限和ゲームではなく,協力
ゲームなのに,それを有限和ゲーム,極端な場合にはゼロ和ゲーム
だと誤解したところに(というか,現代社会の主導的行動原理であ
る市場経済の原理がゼロ和ゲームなので,何ごともその視点で考え
がちなのだと思うのですが),他人を出し抜こうという発想が生ま
れるのではないでしょうか? とすれば,地域社会で生きるという
ことの実感を得る(地域社会の存在を意識する)のは,予想外に大
きな一歩になりうるのかもしれません。

つまり,多様な個人を互いに認め合いつつ,かつ生活の共同基盤で
ある「地域」を誰もが大事に思うような社会を構築していく必要が
あるのだと思います(★)。

池間さんが【2337】で
> かつての地域社会では当たり前だった
> 報酬の介在しない助け合い(ボランティア)
> という行為によって
> 人間らしさを取り戻せる部分もあるのではないでしょうか。
とおっしゃるように,かつての地域社会では,いろいろな助け合い
行為を行うことを通して,自分の行為で地域を良くしていけば,そ
れが自分のためにもなるということが実感される仕組みになってい
ました。これが成り立たなくなったのは,個人個人の事情の多様化
もありますが,それ以上に現金経済の導入によって,協力によって
得られる共同利益を競争によって得られる個人利益が上回ってしま
ったからではないかと思います。以前話題になった「共有地の悲
劇」の原因もここにあるような気がします。

> ただし義務化にはあまり賛成できません。
> 「自分のできる時間に自分のしたい内容について」
> がボランティアの基本だと思います。
> 報酬を伴わない以上
> その方の生活を成り立たせているところの労働や
> 専門としている学業と
> 競合することがあれば続けられません。
長期的にみれば,その通りかもしれません。しかし,放っておいて
自動的に(★)が成立するとは思われないので,最初は義務化して
でも,その地域で生きるとはどういうことかを実感するのは大事な
ことなのではないかと思います。

広木さんのメールへの返事にも書きましたが,ぼくは,第一部会が
奉仕活動を言い出した発想が「生きるとはどういうことかを実感さ
せる」点にある以上は,ボランティアでなくて,報酬を伴ってもい
いので,従事する活動の公共性,生活密着度などが大事だと思いま
す。

フォーラム「地球学の世紀」の松井孝典さんが,大塚・鬼頭「地球
人口100億の世紀 人類はなぜ増え続けるのか」(ウェッジ選書)
第3部の鼎談で,個の追及がどんどん進んでいってバラバラになっ
た後で起こる「人間圏のビッグバン」と期待されていることも,こ
の辺にあるのではないかと思っているのですが,どうでしょうか?
# 飛躍しすぎ?

=====
Minato Nakazawa, Ph.D. <minato@sv3.humeco.m.u-tokyo.ac.jp>
Department of Human Ecology, Univ. Tokyo
[WEB] http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/~minato/index-j.htm


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