[BlueSky: 2307] Re:2306 子どものパワー


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Sat, 2 Sep 2000 20:26:46 +0900

こんにちは、葛貫です。

須賀さん【2306】:
>視点の転換を経験してもらうために、まとまった話をして頭のなか
>に別のひきだしをつくってもらうお手伝いをするとよろこんでもら
>える場合が多いような気がします。

所在なさそうに立っているのは、つまらないのではなくて、取り
つき方が、わからないからなのかもしれないのですね。

>これは、面白いとはどういうことか、という問題のような気がします。
>小学生くらいの子どもは、まだ脳がさかんに発達している時期なので、
>自分の五感で世界にふれること自体が面白いのではないでしょうか。
>それに対して大人は、人間の共同生活のなかでかたちづくられた知識
>の体系というか世界観のようなものに参加し、それと自分がやりとり
>することに充実感をおぼえるのかもしれません。

ああ、そうなんですね。面白いと思うものが違うんですね。

「言葉」を駆使して、(自分の)世界を構築し、それをお互いに確認し
合い、修正し、共有することは、面白いです。でも、言葉を使って構築
される世界は、人が持っている語彙という限界があり、また、言葉を
知っていてもその言葉が持つ「質」が共有されているか、どうかは、
わからないのだと思います。

それで、須賀さんが【2291】で仰しゃっていた
> 実際の社会もことばのやりとりでかたちづくられた現実の理解の
> しかた(机上の空論になりやすい)を「現実そのもの」と勘違いし
> て動いていくことがよくあるような気がします。それを現実にひきも
> どすためにも、ことばのやりとりを重ね、認識をあらため、きたえ
> あっていかなければならない。
> 矛盾してますが、しょうがないですよね。
ということに戻ることになりますね。(^。^;;

言葉の外にあるものを感じ取る回路(?)が、まだ、開いている子
供に、先に説明することにより、既存の言葉で作り上げた(大人の)
世界を刷り込み、その世界の内側で、情報処理するように仕込ん
では、可哀想だなと思います。
同時に、大人も、そのような回路を開いておくようにしないと、言語
による自家中毒を起こしそうな気がします。






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