[BlueSky: 230] Re:225 知の庶民化


[From] keimika@246.ne.jp (Keiichi Hino) [Date] Sun, 1 Aug 1999 09:05:19 +0900

Bluesky-MLのみなさん、後藤さん
おはようございます。 世田谷の日野です。

At 19:33 99.7.31 +0900, Ken Gotoさん wrote:
>まぁ、大人が遊ぶ分には(気晴らしとして)いいんですが。こどもがゲーム漬け
>では、対自然、対人間的コミュニケーション能力の育成の点で問題がありすぎる
>と思います。

ですね。
煙草に引き続き、ゲームについても僕は好きですし、やりはじめたら止まらない
タイプです。しかるに絶対に所持しないでいます。所持したら完全に
のめり込むのがわかっているから。自分自身では規制できないと思う。

なにしろこのゲーム流行りで思うのが、本物と偽物を見分ける目を
失わないでほしい、ということ。これが見分けられれば、いくらでも、
大人だろうが子供だろうが、やっても構わないと思う。

僕が小学生のころ、ご存じの方も多くいらっしゃると思いますが、
小学館からB5サイズで「動物の図鑑」「昆虫の図鑑」などのシリーズが
発売され、空前の小学生の図鑑ブームがありました。
そのときに子供たちから発言された有名な言葉があります。
実物のカブトムシをみて「図鑑と一緒だ!」。
細かいことですが、「図鑑が一緒」なんであって、誰かが報じた・書いたことが
一次情報として理解され、目の前の実物が比較されるという現象です。
「別に言葉尻をそんなに言わなくても.....」という意見もあるのですが、
図鑑からの情報で一次処理された目は、実物を客観視することを逃す恐れが
あります。

自然観察会などをやると、図鑑と一緒だと安心して、その後興味がなる子供群
というのと出会います。だから変な発見をするガキがいなくなった(少なくなった)。
こういう時にも「答え合わせ」の傾向が表われているようです。

ゲームもそれと同じ様な危険性をはらんでいるような気がしてなりません。
今や生き物育成ゲームもあり、コンセプトとして「生き物を育てることで、子供の
感性を育む」とも言われてますが、ゲームの大半は視覚情報でのシュミレートです。
聴覚、臭覚、触覚から得る喜怒哀楽による愛着心はどうなるんでしょうか?
いまの社会は視覚情報が優先傾向にありすぎると思う。

結局のところ流行りのゲームは、なにかアクシデントがあっても自分に被害が
おこならい、そんな保険がかけられているから、安心して楽しめるんだと思います。
なんか当り前のこと書いてますが、ただそれが平常に判断されていれば構わない
のですが、それを操っている自分が実社会でも操れるという錯覚が起こりえる
ことが怖いですね。先日のハイジャック事件なんかは、医療上どう判断されるか
はともかく、それに近いものがあったと思います。
「横田基地着陸は10回中9回は成功してた」と言っているそうでうが、
そしたら失敗した1回の時に、容疑者が使用しているブラウン管が爆発し、
救急車で運ばれるようなケガをするようなものだったら、あんなことは
しなかったのではないか? 極論です。 「首都高バトル」も一緒です。

ゲームの怖いところは、「現実にできないからゲームで体験」という
ところだろ思います。「事故が怖くて、違反が怖くて、それでも首都高速で
鬼のような走りをしたい。でもやっぱりできなからゲームで楽しむ」。
大人なら、あくまでもそれが虚構の世界という判断ができると思いますが、子供は
どうでしょう。またそれを修正する大人がどのくらいいるのでしょうか。

そういう基盤が整っていいないのに、「楽しむ」部分だけが先行している。
ホントにこれで大丈夫? って気がします。
カタカナまたは英語調にすると見えてきませんが、
ゲームに関しては、バーチャルリアリティは仮想空間とかという、曖昧な言い方
ではなく「偽物」と定義づけたほうがよいかも<問題発言?


ではでは



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