[BlueSky: 2225] Re:2224 自然の価値


[From] "SUKA, Takeshi" [Date] Thu, 17 Aug 2000 21:28:04 +0900

小宮さん、みなさん
           須賀です。

小宮さん、たいへん刺激的で面白い論点をどうもありがとうございます。

小宮さん:
> これは僕の偏見なのかもしれませんが、「人間にとっての自然」と
> いう考え方は比較的最近出てきたものなのではないでしょうか。
> 昔は自然そのものに価値を認め、人間の利益にならなくとも自然
> は守らなければならない、という考え方が主流だったと思います。

そうですね。わたしも、昔の考え方をよく勉強したことはないのです
が、きっとそうだっただろうなという気がします。

小宮さん:
> それが今のような人間の利益を第一優先させる、環境問題にベネ
> フィットという価値観を用いる、という風に変わってきたのは、ダー
> ウィンの進化論の影響が大きいと思います。

なるほど、そういう見方もできるんですね。「自然の価値」あるいは
「生物多様性の価値」という議論について、こういう見方をされる方
は多いんでしょうか。生物多様性(biodiversity)ということばが
進化生物学などの分野からもともとでてきたことを考えると、確かに
そういう見方もできそうですね。

でも、と話を面白くするためにわたしはちがう観点を出してみたいの
ですが、「人間にとっての自然」という議論の立て方が今の自然環境
保全の議論にひろく要請される背景には、それとは別にもっと大きな
要因があるのではないでしょうか。わたしが思いつくのはふたつです。

そのひとつは、現代世界の政治のルールになっている人権思想です。
その起源は米国の独立革命やフランス革命あたりにあるのでしょうか。
(くわしい方、ご教示ください。) 現代の世界でも、基本的人権が
みたされない状況というのはきっとたくさんあると思いますが、君主
制にしても共和制にしても、ルールとしては(自然の権利ではなく)
人間の権利を基本にしているのではないでしょうか。奴隷制を国の
制度として公認している国はもうないと思います。普通選挙制度で
選挙権をもつのは人間ですよね。欧米の環境思想のなかには、これを
こえて「自然の権利」をみとめようという動きもあるそうですが。

(わたしの理解では、自然の権利という考え方は、現代の進化生物学
とは別のところからでてきた考え方です。だからこそ、小宮さんも
「人間にとっての自然」という考え方を進化論にむすびつけられた
のでしょうね。)

別のいいかたをすると、自然保護をすすめようという運動に対して
なげかけられる強い反論として、「人間の権利とほかの生物の権利
のどちらが大事なのか」というのがあります。たとえば究極の権利
として生存権を考えると、このあいだのメールでも言った「人間の
命とほかの生物の命とどっちが大事」という話になります。これに
はなかなか反論できません。人間の権利とは人権であり、これが
現代の世界のルールだからです。そこで人権を否定しない自然の
保護を考えるため「人間にとっての自然」というかたちでの議論
の組み立てをせまられることになります。

たとえば1992年の国連環境開発会議(地球サミット)では、先進
国と途上国をともにふくむ157カ国が「生物の多様性に関する条約」
に署名しました。このような国際会議の場で、世界的な合意を形成
するには、「人間にとっての自然」という枠組みがやはり大きな
説得力をもつのではないでしょうか。なぜならそれは政治の問題
だからです。

「人間にとっての自然」という考え方が大きな力をもつ理由として
もうひとつ考えつくのは、人間のあいだでのコミュニケーションは
たやすいが、「自然とのコミュニケーション」は個人的なものに
なりがちで、社会のルールに反映しにくい、ということです。樹や
虫が人間のことばでしゃべってくれたらとても助かるのですが。
(そうはいかないので、シャーマンや詩人や科学者の役割は大切
ですね。)

> 人間は他の動物にない高い共感能力を持って
> いるので、他の動物と異なり、血縁関係にない人や他の生命に対
> しても利他行動をとることができます(と僕は思います)。本来、自
> 然を守る、絶滅種を保護する、というのは、この人間の共感能力か
> らくる、他の生命をいとおしむという、人間の本質的な性質なのでは
> ないでしょうか。ですから、害虫を保護しないということに疑問を持た
> れた学生さんも、そういう人間に不利益になる種は保護しない、とい
> う人間の利益中心の考え方に疑問を持たれたのではないかと思い
> ます(実際はそのような観点から害虫が外されたのではないみたい
> ですが)。

そうですね。わたしもそう思います。興味深いことに、国連が先導
する生物多様性の保全と利用の考え方のなかには、小宮さんが上で
おっしゃったような考え方をなんとかして「人間にとっての自然」と
いう考え方のなかにとりいれようとしているものがあります。

世界の科学者が国連環境計画(UNEP)の委託をうけておこなった
「Global Biodiversity Assessment (世界の生物多様性アセスメント)」
(1995)という本があります。この本の『政策立案者のための概要』
という要約の日本語訳が今わたしの手元にあります。環境庁編の
『多様な生物との共生をめざして 生物多様性国家戦略』の「資料編」
にのっているものです。

このなかに「経済的観点から捉えた、生物多様性の価値」というBOX
に入った説明があります。そのタイトルのとおり、人間にとっての
自然の価値を「経済的観点から」分類したものです。

その価値は大きく「利用価値」と「利用しないことの価値(非利用価値)
又は受動的価値」のふたつにわけられています。

「利用価値」は「直接価値」「間接価値」「選択価値」の3つに分類さ
れています。「直接価値」は、さらに「消費的利用」と「非消費的利用」
のふたつに分類されています(くわしい説明はここでは省略します)。

興味深いのがもう一方の「利用しないことの価値」の部分の説明です。
こう書いてあります。

「非利用的価値又は受動的価値は、友人・親類縁者・その他の人々に
対する利他主義(代償利用価値)、将来世代に対する利他主義(遺贈
価値)、ヒト以外の種や自然一般に対する利他主義(存在価値)に由
来している。これらは、道徳的、倫理的、精神的、宗教的思考によっ
て動機づけられることがある。」

経済的観点といっても「利用しないことの価値」というのですから
驚きです。しかも言っていることは、小宮さんのおっしゃる人間の
共感能力にねざした「価値」があるということです。普通にわたし
たちがイメージする「経済」の輪郭を大きくふみこえています。

> 公共事業や開発において、自然の価値というものは日本では低く
> 見積もられがちなのかもしれません。

現代の日本はとても経済的価値が大きな力をもつ社会だと思います。
いや、上記の考え方でいえば、経済的価値のごく一部が、という方
がいいのかもしれません。そういう社会である以上、そういう社会
で効力を発揮する環境保全の方法を考えることも必要になってくる
のでしょうね。

みなさんはどんなふうに思われますか?

Takeshi SUKA
Nagano Nature Conservation Research Institute (NACRI)
E-mail: suka@nacri.pref.nagano.jp


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。