[BlueSky: 2220] Re:2219 害虫とレッドデータブック


[From] "SUKA, Takeshi" [Date] Mon, 14 Aug 2000 20:09:53 +0900

青空MLのみなさん
          須賀です。

佐川さん、小宮さん、星野さん、ご返事ありがとうございます。

人間は自然界から生まれてきたもので、よくいわれるように人間が
「自然保護」なんていっていること自体ある意味でおこがましいと
もいえるわけですが、そのようなことを考えなければならない状況
をうみだしてきたのが人間の活動でもあるわけです。そんな現状を
なんとかしようという動きは、自然と人間との関係をテーマにして
いるようでいても、実際には人間社会のなかでのやりとりやルール
づくりが中心的な課題になってこざるをえないという面があります。
害虫とレッドデータブックに関するお三方のコメントを拝見して、
あらためてそのことを思わされました。

佐川さん:
> ある学生さんは、「 まるで人間が神(自然界の統治者としての)
> の位置にいるとでもいうような感じがする」という、感想を持った
> そうですが、わたしにはいまひとつ意味が分かりません。
> 多分、「人間の勝手な価値判断で、ある生物を“害虫”だとか、
> “絶滅危惧種”というように、カテゴライズし序列化するのは、人間
> の傲慢である。」というような意味合いだと推測するのですが、し
> かし、そのような感想もまた、わたしには、「まるで超越者(人間
> 社会に対して)の位置にいるとでもいうような感じがする」のですが。

なるほど、なかなか手厳しいご意見ですね。しかしわたしの上記の
感想と大筋では同じことをかたっていらっしゃるのかもしれません。
わたしがその学生さんの感想をみたときに感じたのは、傲慢という
よりも、むしろ素朴な意見だな〜、ということでした。しかし考え
てみれば、わたしは仕事をしているうちにいつのまにかこのような
素朴さを失っていたともいえるわけで、そういう素直さにある種の
新鮮さを感じてしまったことも事実なのでした。このように「自然
と人間」という図式を生のままむきだしで考えるような素直さとも
つながりをのこしておかないと、幅広い社会的な共感をきずくこと
はできないのかもしれません。そこで話をとめてしまうことはでき
ませんが、そうかといって無視することもできませんよね。むずか
しい問題です。どうすればこのような感性とのあいだに共感の回路
をきずくことができるでしょうか。

小宮さん:
> 僕だったら、レッドデータブックには害虫、益虫の区別なく、すべて
> 載せておいて、でもこれは害虫だから保護せず絶滅させようとして
> います、とするのがすっきりしているような気がします(もちろん、
> 調査するのに労力がかかるのならわざわざ絶滅させようとしている
> ものに手間をかけるのはばかばかしい話なのかもしれませんが)。

そうですね、論理としてはその方がすっきりしているとわたしも
思います。もっとも害虫防除の研究者は害虫を絶滅させるという
より被害を経済的な許容水準以下におさえるということを目標に
している場合が多いのではないでしょうか。絶滅の危険度の評価
に労力がかかるというのはたしかにそのとおりです。

星野さん:
>  農薬を散布することで、害虫化した昆虫も多く見られます。
> 害虫になる昆虫は、増殖率が高く、とてつもない数に増殖する能力をもつ(R戦略者)
> のが特徴です。また、環境に適応する能力も高いと考えられています。
>  レッドデーターブックに載る昆虫はそれほど増殖する能力が高くない(K戦略者)が
>多
> いと思います。ただし、天敵との関係で、自然界での害虫の数が減少し、害虫でなくな
>ることもあり
> ます。この場合は害虫よりも「ただの虫」と考えてもよく、絶滅危惧種に指定してもお
>かしくないと
> 思います。

なるほど、さすがに専門家ならではの明快なご説明ですね。講義
のまえに星野さんにきいとけばよかったな。

***

人間中心の世界観か、それとも非人間中心の世界観か。たしかに、
進化論や生態学の発展は、近代に発達した人間中心の世界観を徐々
にきりくずしてきました。でもこれは、ものごとがこう「である」
という科学的な事実の認識のレベルの話です。それに対しものごと
をこうする「べき」であるという話は、価値観がはいってくるので、
人間社会の問題になり、社会的な対立や調整、合意形成などの話に
ならざるをえないところがあります。そのような問題である以上、
「人間にとっての自然」という前提での議論がメインになるのは
さけがたいことだろうと思います。

その人間についても、南北間・世代間での公平という倫理的基準に
もとづいて持続可能性をめざすというのが最近のながれになって
いますが、これさえ実行するのは簡単なことではありませんよね。

ところで、人間の価値と自然の価値のどちらに重きをおくかという
「べき」の話にも、実は2つの異なった議論が混在しているのでは
ないでしょうか。人間の命の重さと虫の命の重さを同等にあつかう
という価値観を(個人の想念や美学のレベルではともかく)社会の
ルールとして確立するのはたぶん不可能にちかいでしょう。しかし
「人間が意図的にこしらえたもの」と「自然界にもともとあるもの」
のどちらが人間にとって価値あるものか、という話になると、議論
はぜんぜんちがってくるはずです。

あの感想を書いてくれた学生さんたちを前に、こういう話をできる
時間があればよかったなと思います。そうすればどのような反応を
かえしてくれたでしょうか。みなさんはどんなふうに思われますか?



Takeshi SUKA
Nagano Nature Conservation Research Institute (NACRI)
E-mail: suka@nacri.pref.nagano.jp


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