こんにちは、葛貫です。
須賀さん【2163】
>> イヌやネコ、それにいろいろな野生動物の「行動の軽さ」をみていると、
>> 「命の軽やかさ」と華やぎを感じます。そのような軽やかさと華やぎを
>> 自分のものにしたいと感じるのはなぜでしょうか。そのような軽やかさ
>> と華やぎを、子供は大人よりもたくさんもっています。
佐川さん【2164】:
>そう!! なぜなんでしょうね?
おそらく、イヌやネコや、軽やかで華やかな時期の子供は、
他者の目を意識していない、他者にみせるために演じていない。
自意識がさほど強くないのかもしれませんね。
イヌはネコに比べて、人の顔色を見るというか、他者からの
評価を気にするように感じられるのは、群れで生活する習慣を
持っていたからでしょうか。
内なる自分と、振り当てられた役割を演じざるを得ない社会的な
自分の折り合いを、どうつけるか、難しいな、と思います。
須賀さん:
>「精神の深淵、無意識の世界は、我々の内にあるウィルダネスの領域で
>あり、そこにはボブキャットが今も生きている。」 ・・・・・中略失礼・・・・・
>言語に内在する『力』は野性の側にある。」
を読んで、言語化することは、主体・客体を定め、意識的に見なければ
できない作業なので、【2021】に書いていらした、
>「主体がはっきりすることによって西洋文明なりアメリカ文明は自然を
>壊してきた。日本文明では主体がはっきりしないことによって意識的に
>は壊さなかったけれども、いつの間にか壊れていた。そのところでもう
>一回、何を意識して、何を無意識のうちにやっていくかという方法論を
>立てなきゃいけない。」
という一節を、何となく、思い出しました。
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