[BlueSky: 2160] Re:2159 命の軽さ


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Thu, 20 Jul 2000 11:42:42 +0900

こんにちは、葛貫です。


後藤さん【2159】
>「自分で背負うしかない重いもの」という感覚は僕にはありませんし、こ
>こはキリスト教的な「原罪」を連想した一節です。冒頭に申し上げたよう
>に、僕自身は「ウキクサ人生」ですので、「重い」話は苦手なのですが、、、

私は罪悪感や恐怖心を引き起こすことにより規律に従わせようとする
宗教や、その拠り所となる原罪的な考え方は、退廃の匂いがする享楽
的な生き方と同様に下品に感じられ、好きになれません。

「他者が守ってくれるのが当然のような感覚を持たず、自分で背負うし
かない重いもの」で、表現したかったことは、

今の子供(大人も?)、「察してよ〜!!」という期待や、自分の本心を
感じ取れない相手や周囲に対する「何でわかってくれないの」という苛
立ちが強いのではないか。

相手に悪い印象を与えることを怖れ、表現していない(むしろ隠してさ
えいる)気持ちを察することを要求する、ただ泣く赤ちゃんのより始末
の悪い、自分では社会性があると錯覚している駄々っ子がいるのでは
ないか。

誰かが何とかしてくれるのを待っているだけなのではないか。
手を伸ばせば届くのに苛つきながら、口をあけて棚ボタを待っていたり、
押しボタン式の信号のボタンを押しもせず、何故、青にならないんだと、
苛ついたりしていないか。

ほしいものは、「ほしい」と表現し、それに見合う努力をする気があるのか。
いらないものは、「いらない」と表現し、相手から逆恨みされるリスクを負っ
ても、自分の自由を奪う、押し付けの善意を断る努力をする気があるのか。

「ほしい」と言って得られなかった場合の落胆、「いらない」と言われた相手
が発する「折角の善意を」という罪の意識に絡む念は、たとえ親でも肩代
わりすることはできない。自分で、消化してゆくしかない。
まして、ニッチを埋めるものとして人を見る社会に、個人の心中の斟酌を
期待するのは的外れだ。

と、いうことです。

>他者からの有形無形の「守り」(愛情)を実感できてこそ、ひとは「強
>さ」を保つことができる、と僕は考えています。逆にいえば、そうした
>実感を味わえないで育ってくればとても脆くなってしまうでしょう。他
>律的行動で誤魔化すか、究極の訴えに救いを求めるか、、、。

ごく、幼い頃は、100%の庇護が必要だと思われます。
でも、成長に伴って、「守られていること」とは、嫌なことを全部肩代わり
してもらえることではないことを知った方がいい。「守り」は、積極的な
庇護ではなく、「まあ、そんなこともあるし、そんな時も、あっていいんじゃ
ない。」という容認が、最大級のもの(私にはそう思われます)なのだ、
と知らせることも大切なことなのではないかと思います。

落胆や、負う所以のない罪の意識を自分なり消化し、自暴自棄な享楽
にも、生きてて済みませんという何か酔ったような罪悪感にもはまらず、
それほどの善人でも悪人でもない自分を生き抜く、したたかさを持ちた
いし、子供達にも持ってほしい、と心から願います。



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