こんにちは、佐川です。
[葛貫さんwrote:2141]
> それ以降、妹が飼っていたブンチョウも軽く、華奢で、触れるの
> が怖かった。自分が産んだ初めての子供も、簡単に壊れちゃい
> そうで、怖かった。
ツバメは、文鳥よりも華奢です。あの華麗は飛行の秘密はこれか
と納得したし、こんな身体で太平洋を渡ってくるなんて、凄い!
と、チョッと感動したことがあります。
> 命は、本当に小さな力で機能を停止し、リセットが効かない儚いもの。
> だからこそ、大切に扱わなければならない、と言う意味なのか、
>
> 身近な人には掛け替えのない一人でも、例えば、「マレーシアで起きた
> ゴミの山が崩れて90人以上が亡くなった。」という数字で表わされた一
> 人は、社会にとっては、誰とでも置き換え可能、空いたニッチは直に誰
> かが埋める一人に過ぎない、という意味での「命の軽さ」で、だからこそ、
> 他者が守ってくれるのが当然のような感覚を持たず、自分で背負うしか
> ない重いものなのだという意味なのか。
>
> 後者は、餓える心配のないスポイルされた社会に欠けている感覚かも
> しれないです。
>
> 私が思いつくのは、この位で、もっと、他の意味なのでしょうか。
> ムズカシイ・・・・・。
私が考えていたのも、ほぼ同じです。他に深い意味はありません。
脳死のことを考えようとしていたのですが、上手く考えられないんですよね。
どこか、遠い。この遠さは何か?
片方では、尊い命を救うためには臓器移植が必要だと言い、しかし、
その臓器移植は、年間10.000人を越える交通事故死者の存在を
前提にしている。
#実際は、交通事故死者がドナーになることは少ないが。
で、そんなことを考えながら、「命は尊い」から出発するからちぐはぐに
なるんだ。「命は軽い」から「命は尊い」に至る過程をどのように“仮構”
するのかが大事なんだ。と、思ったわけです。
> 村上龍さんが発行されているJMMというMMに今日は、「キレる」こと
> に関する対談が載っていました。面白かったです。
> http://jmm.cogen.co.jp/
> から、見られます。
私も読んでます。少し前のフリースクールをめぐる対談も面白かったですね。
佐川でした。
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