[BlueSky: 2142] Re:2141 Re2136 命の軽さ


[From] Ken Goto [Date] Wed, 12 Jul 2000 21:47:16 +0900

青空MLの皆さん

7月7日に青空MLが一周年を迎えたというのに、このところ、「お久
しぶり」ばかりな後藤@帯畜大です。

   一周年記念祭り、みたいのがあると面白かったんですが、管理人
   グループの全員が超多忙だったようで、期待していた方がおられ
   たらごめんなさい。

葛貫さん【2141】:
> >子どもたちに何か問題が起きると「命の尊さを教える教育が大切」
> >なんてことを言う人たちがいますが、子供たちが、ほんとうに知る必要
> >があるのは、
> >“命の尊さ” ではなくて “命の軽さ” ではないでしょうか?
> >
> >“命の軽さ”が分からないのに“命の重さ”なんて解るはずないと、私は
> >思うのですが・・・。
>
>
> 佐川さんが「命の軽さ」という言葉で表現なさりたかったことは、
>
> 命は、本当に小さな力で機能を停止し、リセットが効かない儚いもの。
> だからこそ、大切に扱わなければならない、と言う意味なのか、
>
> 身近な人には掛け替えのない一人でも、例えば、「マレーシアで起きた
> ゴミの山が崩れて90人以上が亡くなった。」という数字で表わされた一
> 人は、社会にとっては、誰とでも置き換え可能、空いたニッチは直に誰
> かが埋める一人に過ぎない、という意味での「命の軽さ」で、だからこそ、
> 他者が守ってくれるのが当然のような感覚を持たず、自分で背負うしか
> ない重いものなのだという意味なのか。
>
> 後者は、餓える心配のないスポイルされた社会に欠けている感覚かも
> しれないです。

命の軽さも重さも「教えるべき」ことではなく、「感じてもらう」しか
ないことであるとは思いますが、、、

一年ほど前、青空MLが創設された当時、メールを投稿しまくって(今
とはちょうど逆ですね)ひんしゅくをかったことがあります。そのとき
に確か「社会における複雑度の増大」との関連で述べたことと思うので
すが、人類が西洋的一元化の歴史を歩む過程で、群れの構造が重層化し、
群れが巨大化してきました。

社会的文脈における「命の軽さ」は、この、群れの巨大化のひとつの帰
結であるように思います。葛貫さんが仰るとおり、社会にとっては代替
可能なひとつの歯車に過ぎなくなっている。これを一年前、僕は、貧困
の増大とみなすことができる、と結論しました。

   社会的に「命が重い」のであれば、車で人をひき殺したりしたら、
   まともには生きていけないでしょうが、現実はちがいますね。
   つい、半年前も、学内でひき殺されかけましたからね。怖かった。
   虫けら同然です。

いずれにせよ、「命が重い」という命題は、「個人の尊重」という近現
代の社会的スローガンであろう、と思いますが、個人の命は換金可能な
「モノ」として扱われているのが社会的実態でしょう。

「個人の尊重」を体現できる人格を形成するためには、愛情豊かで強靭
な感性が育てられるような社会的仕組みが必要であると思われます。

・・・ただし、「自殺」や「他殺」しか道がないような人格的窮地に陥
れば、「個人の尊重」などは二の次の問題となるのは自明でしょ
う:この文章では、「自明」となるような条件設定をしたから、
自明なのです。

以上、社会的文脈における「命の重さ、軽さ」について述べましたが、
人生論的文脈でいうと、キリスト教の「原罪」の重荷が思い浮かびます。
また、難病と戦っている人、一命を取り留めた人、、、など、「命にま
つわる人生観」は「重い」でしょうが、僕自身はまだそういう「重さ」
を身につけていないので、こうした側面については発言を控えます。


後藤 健
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生命を考える http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612


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