こんにちは、葛貫です。
佐川さん:
>わたしは、今日、オオムラサキを捕獲しました。 それも素手で。
小学校の低学年だった頃、モンシロチョウを素手でつかまえて、
遊んだことを思い出しました。ある時、強くつかみ過ぎたため、
チョウが死んでしまいました。手の中で動かなくなったチョウ、
指についた鱗粉を見て、怖くなってしまったことを思い出しました。
それ以降、妹が飼っていたブンチョウも軽く、華奢で、触れるの
が怖かった。自分が産んだ初めての子供も、簡単に壊れちゃい
そうで、怖かった。
>子どもたちに何か問題が起きると「命の尊さを教える教育が大切」
>なんてことを言う人たちがいますが、子供たちが、ほんとうに知る必要
>があるのは、
>“命の尊さ” ではなくて “命の軽さ” ではないでしょうか?
>
>“命の軽さ”が分からないのに“命の重さ”なんて解るはずないと、私は
>思うのですが・・・。
佐川さんが「命の軽さ」という言葉で表現なさりたかったことは、
命は、本当に小さな力で機能を停止し、リセットが効かない儚いもの。
だからこそ、大切に扱わなければならない、と言う意味なのか、
身近な人には掛け替えのない一人でも、例えば、「マレーシアで起きた
ゴミの山が崩れて90人以上が亡くなった。」という数字で表わされた一
人は、社会にとっては、誰とでも置き換え可能、空いたニッチは直に誰
かが埋める一人に過ぎない、という意味での「命の軽さ」で、だからこそ、
他者が守ってくれるのが当然のような感覚を持たず、自分で背負うしか
ない重いものなのだという意味なのか。
後者は、餓える心配のないスポイルされた社会に欠けている感覚かも
しれないです。
私が思いつくのは、この位で、もっと、他の意味なのでしょうか。
ムズカシイ・・・・・。
村上龍さんが発行されているJMMというMMに今日は、「キレる」こと
に関する対談が載っていました。面白かったです。
http://jmm.cogen.co.jp/
から、見られます。
【2140】は、小宮さんが書かれたものを読まないうちに、同じような内容
の投稿をしてしまいました。ごめんなさい。
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