邑瀬です。
一ノ瀬さん:
> 商業主義が事実を圧殺することには、十分警戒の目を光らせなければなりませ
> んが、一方で、科学者が皆、正直な聖人であるはずもありません。功名心にはや
> って、虚偽の報告をする可能性は十分にあり得ます。その結果処罰されると、そ
> れを、あたかも殉教者の如く扱う風潮が世間にある場合には、尚更です。
たぶん一ノ瀬さんからコメントがあるだろうなと思っていました。(ちょっと
安心しました。)一ノ瀬さんも中澤さんも(私も)認識しているのは同じこと
だと思います。ただ、どこに重みをつけるかが微妙に違っているだけでしょう
ね。(ほかの方はどう思われますか?)
科学をやる端くれとして、データの発表について少しコメントいたします。
まず、科学者が「虚偽の報告」をする可能性ですが、それは十分にあり得るこ
とだと思います。その場合は犯罪者の心理と同じで、「何か得すること」がな
ければまずやらないと考えるのが自然でしょう。つまり、発表をすれば立場上
有利になるとか、研究費がつきやすくなるとかいう理由があれば、データを改
竄することは考え得ると思います。逆に、商業主義の流れとか世論とかがすで
にあって、それに反発するようなデータを発表するケースは、考えにくいよう
に思います。すでに動き出した方向にあえて反論するには、自分のデータに対
してよほどの確信がなければ発表は躊躇するでしょう。
実際、私も学会の常識を覆すようなデータを今ちょうど持ち合わせていますが、
「早く発表したい」という衝動と、「もう少し追試をしてから」という気持ち
の狭間で揺れ動いています。もしデータが社会に直接影響を与えるようなもの
であるならば、発表には(私なんかよりも)もっと勇気がいると思います。実
験操作が煩雑なものであればなおさらです。にもかかわらず、発表するとデー
タはもちろん、ともすればその解釈だけが一人歩きすることがあります。
話がそれましたが、「虚偽の報告」で流れに逆らうということは、不自然では
ないかと私は感じます。もっとも、常識では理解の出来ないような犯罪もあり
ますね。結局のところ、データの信憑性については(その科学者の立場や性格
などをよく知らない人は)信じるしかないでしょう。
データ信憑性については複数の研究室でできれば同時進行で検証することが必
要ですね。その結論が出るまでは、一般の人は過剰な反応は避け、それを助長
するような報道も慎んで欲しいものです。
# 常に冷静な判断をする、アンタッチャブルな集団があればいいのですが。
# NPOとて企業からの寄付を受けているので完全な中立というのは難しいですね。
それと、「虚偽の報告」とは少しずれるかもしれませんが、
中澤さん:
> こういうレポートを読むと,メカニズム全体がわかっていないうちに
> 好奇心だけで応用してしまうことのデメリットを強く感じます。
好奇心は確かに科学者にはつきものですが、それを野外などに大々的に持ち出
すのはまた別の要因がある時だと思います。つまり、よく分からないうちに大
々的にやろうとするのは利権が絡んでいるときで、いくら好奇心があるといっ
てもそこまで(社会を巻き込んでまで)はしないと思います。というのは、応
用の危険性についてはその本人がいちばんよく理解しているからです。安全性
をよく確かめないで応用するのは、「虚偽の報告」に匹敵します。
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