[BlueSky: 2050] Re:2042 「しつけ」はどこで?


[From] "gengorou" [Date] Mon, 5 Jun 2000 22:39:10 +0900


青空MLの皆様、鈴木さんこんばんは、ゲンゴロウです。
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>札幌の鈴木さん:
>ただ、子供心には、男女や年齢の高低はあまり印象になく、より密接に付き合ってく
>れた先生のほうが印象が強い(今でも)ようです。

そうですね。「より密接に」と子どもが感じることが大切だと思います。
先生が「密接にしなくても」子どもが「ああ、先生、私を見ている」と
感じさせれば、それで、いいと思います。先生の一言がそう感じさせる
こともあります。その逆で、一言が疎外感を子どもに与える事もありま
す。その原因は、先生の相手への思いがけにかかると思います。
上の空では、出来ないと思います。

>今回の話題はゲンゴロウさんや後藤さんのそれぞれのご意見を読みながら、自分の中
>でもどうなんだろうと考えております。ただ、少なくとも「男はだらしない」「女は感
>情的だ」というようなステレオタイプな見方はできないでしょう。性差も個性の一つ
>ではないでしょうか。その個性を周囲が勝手に「これは男」「これは女」と振り分け
>ているという事だと思います。

そうですね。それが「ある」を認識しなければ、むやみな否定は理想論に走り、
現実にその場にいる児童は「生体実験」にさらされることになります。

[BlueSky: 2037]ゲンゴロウ:
>> 小学校時代は人間の子どもが育つ時期として、とても大切な時期だと思います。
>> その時期には思考能力もない時期だし、社会性を身につける時期としても重要
>> な時期だと思います。そういう時期にこそ、「しつけ」とか「人生教育」のよ
>> うな部分で、学問で言えば大学教授レベルの知識と技術と経験を持った長老的
>> な人材を配置しなければならないと思います。

>しつけ」や「人生教育」といったものは、学校で行うものではなくそれぞれの「家庭」
>で行うものではないのでしょうか。

このような意見が出ると思ったのですが、家庭での「しつけ」は当然のことなので、
あえて前提として提示しませんでした。ただ、子どもの精神的な教育は家庭でも学
校でも行うべきだと思います。「どちらに?」は、話したくないです。
ただ、家庭では家庭なりの、学校では学校なりのしつけがあり、そういう中で家庭
で「しつけ」されていない子どもの存在もあるように聞いています。そのような児
童の「家庭的なしつけ」は、先生が「知らない」では駄目で、学校でもなされるべ
きだと思います。そうでないと、「しつけ」をされ、思いやりのある子の存在が壊
されると思います。

>そもそも「しつけ」とは何かということになるかもしれませんが、人間としてのモラ
>ルという事で言えば、少なくとも自分の子のしつけを他人に任すなど考えもできませ
>んが。また、「小学校」という社会に出す以前に身につけさせておくべきことだとも
>思います。

「しつけ何か」は、個人差がありむずかしいですね。でもその基本は「人に迷惑を
かけない」ということだと、私は思います。子どもが「なんで?」などと聞いてき
たら、私は思いっきり迷惑をかけて身にしみこませます。
あと、自分の子どもの「しつけ」を他者に任せるという気持ちは必要かもしれませ
ん。小学校にたよって任せるのも必要かもしれません。そのために集団教育はある
となってるようですので。「任せたくない」は今の教育制度の根底を否定すること
になるかもしれません。もちろん否定しても良いですが、そうあると「しつけそし
ないのが、我が家のしつけ」だ、という親の理論には誰も何もいえなくなります。
大切なことは「しつけ」をしない家庭、その子を許し、「しつけ」をされる機会を
与えることだとも思います。その逆で、「しつけ」をされた子どもの存在も認めな
いと、思いやりのある子どもの行為その物がおかしな行動と見られる場合もありま
す。

>また、小学校時代がかならずしも「思考能力の無い時期」だとは思いません。時とし
>て大人よりも真剣に物事を考えています。「子供」は「子供扱い」する事から生れる
>ものだと思います。

そうですね。その通りだと思います。ただ、私が言うところの思考の対象は、
「子どもにはどうしようもないこと」です。

>また、細かな事ですが、大学教授はかならずしも「教える事」のエキスパートではあ
>りません。学問的な「知識」はお持ちだと思いますが、この場合の知識と技術と経験
>なら、なにも「先生」でなくとも、近所の大人たちのほうが豊富かもしれません。

これもおっしゃるとおりです。なので、私は、「学問で言えば」として、「大学教授レ
ベルの知識と技術と経験を持った長老的な人材を配置」としました。

>> かなりオーバーな表現かもしれませんが、説明上の表現として戦略的に言って
>> しまうと、重要なポストには、自分の家族も子どもも自分も捨てる覚悟、命が
>> けで動く人間を配置するということです。
>
>それこそ「親」なのではないかと思います。職業としての教師にそこまで求めるとな
>ると、先生自体なり手がいなくなってしまうのではないでしょうか(ただ、本人の自
>覚というレベルでは持っていて欲しい「覚悟」ですが)。

そうですね。「職業としての教師」に、私もそこまでは期待しません。
職業意識の教師の存在を否定するのが私の考えの根底かもしれません。
ある意味で、子どもが一定の時間、どこにも行けないという条件で集団に属すると
言うことは、子どもに「必死」な状況を作り出すと思います。(子ども全員がそう
であるとは思いません)私の場合、家が必死だったので学校は逃げ場所でしたので
学校自体は楽でしたが、その逆の家が逃げ場所の子どもの存在も推測できます。
「必死」な子どもにはやはり「必死」な先生が必要だと思います。そして、その
「必死」な先生を助けるシステムも必要だと思います。

>決して「先生」を擁護する気はありませんが、自分自身、今の行動規範に一番影響を
>与えたのが何かと考えると、やはりそれは小学校時代の先生ではなく、身近にいた親
>だったと思います(家のカミサンも「この親にしてこの子あり」といっておりました
>が ^_^; )。

よいご両親をお持ちだと思います。私は先生に救って頂いた人生を送ってきました。

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  いっつも、あわてて書いているので
支離滅裂、乱文、お許しください。ゲンゴロウ。。。。.。
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