[BlueSky: 2051] Re:2043 はじめまして


[From] "gengorou" [Date] Mon, 5 Jun 2000 22:45:13 +0900


ゲンゴロウです。
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>皆さん、はじめまして。宇野と申します。
>教員の性比率の件ですが、女性に偏った教員編成については問題視すべきだと思いま
>す。性別の如何を問わず、いろんな人がいるという点が正に大事なのであって、性別
>の偏りはその多様性が削られる事に他ならないからです。もちろん、多種多様な人に
>出会えばそれでいいわけではありませんが。

私もそう思います。「いろんな人がいる」を知ることは本当に大切だと想います。
で、それを理屈無く認めることで、様々な他者を認められるようになると思います。
で、先生達には、子どもにも「多種多様な人」になることを認めてあげて欲しいです。
うるさい子も無気力な子も、鈍感な子も、鋭い子も、まだ思いやりの無い子も。

>性別というのは生物学的な雌雄の差以上に、男とはこうであり、女はこうである、と
>いう社会が造りだした基準によって構築されるものだと思います。性別が社会的に構
>築されるものだとすると、個人がどの様な形で性を認識するようになるかは、成長の
>過程でどれだけ多様な男の形、女の形を見て来たかに大きく影響されるはずです。

です。

>教師というのは家族以外の大人という意味で、父、母以外の男と女の形を子供達に示
>す存在です。そこにどれだけの多様性が存在するかによって、子供達の人格形成の素
>材が違ってくるはずです。学校と家庭という教育の場において、その素材をどの様に
>使うかという点について如何なる指導をするかによって、自己や他者の性や社会にお
>ける性問題についての認識、態度が違ってくるのではないでしょうか。

「家族以外の大人としての先生」は、本当にそうだと思います。そして、子どもの視点
で、それを「素材」と考える考え方、私としても、そだなぁ〜と思い出します。
その上で、「素材」の条件として言いたいのですが、「煮ても焼いても食えない素材」
も私はあったように覚えています。それもいいと思います。しかし、「毒になる素材」
は、まずいと思います。「毒になる素材」とは、「頼る時に遭遇した子ども」を裏切る
先生であると思います。適当にあしらう、ごまかす、その場しのぎで対処するなどの
行為をする素材=先生は素材としては「ゴミ箱」に入れたいです。
素材としての最低条件は、やはり「自分は子どもにとって家族以外の大人である」こと
の責任を感じているということにしたいです。

>もっとも、性別以前に人としての有り様というところまで遡る必要があるんじゃない
>かという気もしまが・・・。自由ということとわがままの区別や権利と義務の関係で
>あるとか、もっと単純に挨拶をするとか返事をするとかいったような、ちょっとした
>人間関係について、子供も指導にあたる大人も考えてみる必要があるんじゃないか戸
>思います。

私、疑問に思うのですが、「なぜ、挨拶が必要なの?」という子どもからの質問に子ど
もが、「あーそうかーー!それで挨拶は大切なんだね!」と深く納得出来る答えを言え
る先生なり親が、ちゃんといるのでしょうか。。「みんながするから」とか「そう決ま
っているから」などとしか答えられない大人が多いような気がしてなりません。
もしそうならば、規則規則の社会が子どもの親を造り、その親の子供が今の子ども
のように思え、今の子どもは大変だなぁ〜と思います。
ただし、武道の世界のように理屈抜きに形から入り、その精神を会得するのであれば、
それはそれでいいのですが、理屈が分からないと形にも入ろうとしない昨今、理屈も
知らなければ教えることもままならないところもあるようなので、このことを考えま
した。

>もう一点、人間関係という事について。最近の子供達は学校の後陽が暮れるまで駆け
>回って遊ぶということがあるのでしょうか。塾や習い事に追われて、遊びたくても遊
>ぶ相手もいないんじゃないかという気がします。大人の関与しない子供だけの世界に
>おいて学ぶ人間関係というのがあるように思うのですが、その辺はどうなってしまっ
>たのでしょうか。ゲンゴロウさんの言われる「何もしない時間」というのも、そうい
>う学校外の所に存在したはずで、本来改めて大人がつくってやる必要などないはず、
>と思うのですが。自分の少年時代を思うとどうしても、学校という拘束の場と放課後
>という自由の場があって初めて正常な子供の世界が成り立つ様に感じてしまいます。

放課後のあの自由は、本当に楽しかったなぁ〜〜。。
朝なんか、朝ドラの「おはなはん」を友人の家でみんなで見てから登校したっけ、、
遅刻を叱られるどころか、先生も、その内容を聞いてきた。。
登校は通学路なんか建前で、、ローラースケートで滑れる道だった。。
先生にゆとりがあった気がする。。。

>学校での拘束をゆるめて、ゆとりの教育と呼び、放課後は塾や習い事という拘束の場
>に戻っていくという現状について極めて奇妙だと思っているのは自分だけでしょうか・
>・・。

思うことは、おそらく日本人全員が思っているでしょうね。
なのに、それが出来ないことが、つまり、人間が思っていることが実現しない
今の環境が、とても、おかしい。。
(で、「集団生物に取り込まれた人間かな?」となるわけだなぁ〜・・・)

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  いっつも、あわてて書いているので
支離滅裂、乱文、お許しください。ゲンゴロウ。。。。.。
gengorou@m08.alpha-net.ne.jp
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/
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