[BlueSky: 2033] Re:2032 小学校での女の先生の数について


[From] "gengorou" [Date] Sun, 4 Jun 2000 15:40:08 +0900

ゲンゴロウです。皆様こんにちは。

後藤@環境NPO研究会さん、お返事をありがとうございます。
私、今回はちょっとムキになります。どうか、許して下さい。
今、発生している未成年犯罪を考えて意見を言っているのですが、
それだけでなく、個人的にどうも学校というところは閉鎖的で進歩が
ないと思っています。児童のことより学校運営を重要視していると
考えているし、考えが浅く、勉強も足りないと思ってます。
子どもの権利も公共教育ではまったく教えないようですし、
子どもを守る保護者には健康や歯の健康の通知はするのに「子どもの人権」
を説明するプリントも配らないし、、
ハッキリ言って、今のとても学校というシステム、私は嫌いです。
ムキになりますが、後藤さんに対してではないです。

−−−−−−−−−−−−−
【2031にてゲンゴロウ:】
>> 思うのですが、今、家に帰ってもうるさい母親、幼稚園でも女性の教諭、
>> 小学校でも女性、、これって、異常ではないでしょうか。。。

【2032にて後藤@環境NPO研究会さん】
>小学校の本務教員数は全411,439人、うち男性155,221人、女性の
>方は256,218人で、62%が女性です。

情報をありがとうございます。この統計に関して、都市と近郊、そして
地方など地域を考慮すると、数値が違っている可能性はあると思います。
どうも、私の住む横浜の郊外(住宅地)では、女性教員の割合が多いよう
に感じます。(正確な数字はないです。)
また、小学校の低学年と高学年を分けると高学年にはベテラン教師が配置
されているようですので、低学年は女性教師がほとんどのようで女性教師
は結婚や出産を理由にやめる人が多く、結果として男女の先生では女性教
師に経験が少ない割合が多いようです。何を言いたいかというと、学問的
には低学年の授業は高度でなくても、人間教育としては低学年ほどむずか
しいと思うのに、女性が多く、その中でも経験が浅い人が低学年に多くな
っているような気がしてなりません。(事実だと思います)
ベテラン教師や男性教師が高学年に配置された環境は、なんか対処教育の
現れのようで、ずれている様に思えてしまうのです。
ただし、女性が劣っているとか、駄目だと言っているのではないです。

>> 男性と女性にはやはり性差というものが存在する訳なので、

【2032にて後藤@環境NPO研究会さん】
>「性差」はせいぜい身体構造や体力の上の問題として考えるべきで、性格
>や性質についてそこを強調するのは同感できません。

後藤さんの「考えるべき」という言葉が発せられたり、男女同権が進められて
いるということは、まだまだ性差は存在する訳です。後藤さん自身もそうご自
分にも戒めているのかもしれないと解釈しました。
つまり、人間平等としての男女平等の法の精神を尊ぶ見地からの方向性であり、
それに方向性があると言うことは、現実ではまだまだ男女同権の社会環境が目
的になっているということです。つまり身体構造や体力意外でも女性はまだま
だ差別視されているから男女性差を唱える方々の性差別撤廃の精神も存在して
いるわけですね。
私の「小学校の女性教師の数の問題」は今現在の児童の置かれている環境への
危惧なので、性差の有無、善し悪しうんぬんの話ではないです。
男女の性差がある環境に置かれている児童の状況の中の問題の一つとして、女
性教師の数に関わることを考えています。(本当は資質の話もしたいですが、
それこそ男女の問題ではないとおもいますので、別にします。)

>ぼくも家族や他人の失敗をグチャグチャを責め続けることもあるし、死んだ
>親父(大正13年生まれ)もそういうところはあったし、こどもの頃男性教員か
>ら同様のもっとしつこい責め言葉を浴びたこともあります。
>個人個人の「人となり」の問題で、あんまり関係ないと思います。

男性にも女性のような性格があると、後藤さんは述べて下さりました。
この後藤さんの意見を読むと、私の女性に対する意識が伝わったと思います。
勝手なことを言いますが、後藤さん自身も「しつこい責め言葉」を使うのは女性
的だという考えがあると推測もできます。もっと、言ってしまうと、後藤さんの
父親と母親の想いを考えた場合、人間的な性格の差だけではないと思います。
と、こんな事を言うまでもなく男女の環境が違い、立場が違い、それが男女の
性格の差を造っているので、男女の性格の差は「ある」ことは否定できないと
思います。もちろん、男女平等を望む気持ちは分かります。
その上で、申し上げるのですが、
グチャグチャいう人は男性の中にもいますが、私は女性に多いと思ってま
す。それは、女性のせいではなく女性が腕力もないので口しかないからかもしれ
ないですが、明らかに現代、女性の職業や立場はちがっていて、服装も違います。
環境や服装から性格も彩られる中、良し悪しの問題でなく、現実はシステムの上
で存在し、精神的、性格的に性差はくっきりと存在していると思います。
22歳から27歳くらいまでの男女では結婚(恋愛)意識は女性のほうが多いと
思います。既婚者でも男性のほうが仕事に専念できます。また、子育てに関して
まだまだ妻の責任が重い中では、男性教師と女性教師の受け持ちの児童に対する
気持ちも違うのが現実だと思います。

>> 女性って、グイグイ押すと崩れたり、情に乱れるということ、私、
>> 小学生頃から知っていましたが、、どうなんでしょうか。

>ぼくも崩れるし、情に乱れるますが男性です。人によります。

人間はだれでも情に乱れます。しかし、その乱れ方など、つまり、周囲に
与える影響の段階では、男女では微妙に違うと思います。つまり、細かい
部分では大きく違っていると思います。後藤さんが立場上、男女に差を見
いだしたく気持ちは分かりますが、男女間の差別は精神的な差をも認識し
た上で考えないといけないと思います。形の差や、体の仕組みの差は性格
にも影響するはずです。
これは、異民族との融合の問題とも似ています。差の問題は差を無くすの
ではなく、差を尊重するために差に目をつむらないことだと思います。
でないと、年代間の差、身体的能力の差、育った環境の差など、人間には
数限りなく差が存在するので、差を補う思いやりが無くなってしまいます。
こういうことも、学校教育の現場では繁栄されていないので、私は、学校
が嫌いです。差があるのに「差を言ってはいけない」みたいなところがあ
って返って「差」を浮きだたせるような感じがして、私のような脳は、
どうしてもその矛盾に狂ってしまいます。ある物はあるのだから、ある物
をちゃんと見て、それがなんだか、考えさせないといけないと思います。
見るなと言われると余計に考えてしまう。。

>今ぼくが力を入れているNGO/NPO活動で、中心になって活躍している
>のは女性が多いですが、役人や企業人(たいてい男性・中年)とのやりと
>りを見ていると、彼女達の方がはるかに乱れず、タフで尊敬できます。
>教員の友人も男女ともにいますが、やっぱり人によるんではないか、と
>この分野に足を踏み入れて最近とみに実感しています。

このNGOやNPOに女性が多いことも性差があるような気がしてなりません。
男性女性に向き不向きな精神的な仕事はあると思います。
「ああいえばこういう」ことを言ってますが、私、小学校の教育を受ける段階
の手段教育の在り方に非常に疑問を持っているので、ムキになってます。
許して下さい。
ついでに初等教育時代の重要性について言わせていただきます。人間の一番大
切な時期は、思考能力が無い時期なので、年齢が下の時期ほど大切だと想いま
す。どうも小中高の教員を採用するときに、そういう人間を育てるという基準
が無い気がしてなりません。

>> 小学校の段階で女性の先生が多く、男性の先生の発言も弱いようで、、
>> なんか、まずいのではないでしょうか。
>
>その点はありうるかもしれませんが、これまであまりに極端な男性社会
>だったので、これからバンバン女性の社会における発言権が向上して
>いいとおもうので、ぼくは気にしません。事実、NGO活動上の議論で
>やりこめられることもありますが、そういう場合相手はたいてい女性なの
>を嬉しく思いつつ、反撃したりされたりしています。

心は形から、やはり形や能力が違えば精神に差が生まれると考える方が
現実把握としては妥当だと思います。どうしようか、どうしたいかは、
私としては、今、問題にしたくないです。
しかし、ちょっと触れると、もし、男女の間の差を無くそうという考えが
世にあるなら、おそらく男性と女性ともに他の性質を持つ性になるのでは
ないでしょうか。

−−−−−−
>ちょっと怖がりすぎです。あきらめずに議論をつくせば、
>一見思いこみが激しいと思う人とも理解し会える場合の方が多いのに。
>もちろん男性でも女性でも、「話して分からない」人はいますが。

励ましの言葉をありがとうございます。
しかし、私にはそれが出来たとしても、表現能力が乏しい児童にはむずかしいです。
家に帰ってからも、親にさえ、環境のシステムから生まれるおかしな事を
語ることは出来ないと思うので、私、ついムキになります。
大人でもそうですが、行動の前に全て思考があるわけではないです。なのに、
なにか問題が起きるとすぐにその行為をした者に「どうして」と聞きます。
それも、私にすると変です。児童が日々の多くの時間を過ごす教室の中の状況は
大人が見て考える必要があると思い心配してます。
私としては、先生も「現象やシステムの作用」や「心の本質」を見ていないので、
自分で何をやっているのか分からないことが起きていて、プロ意識がさらに、
それを知ることを妨げて、外から干渉できないクラスの中ではとんでもない
こと(誤認、誤動作、誤対処、誤思考)が起きているという危惧が抜けません。
このこと、現実に多くの学校関係の管理職の方も危惧しているようです。

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  いっつも、あわてて書いているので
支離滅裂、乱文、お許しください。ゲンゴロウ。。。。.。
gengorou@m08.alpha-net.ne.jp
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/
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