[BlueSky: 2017] Re : 2016 人格という厄介なフィクション


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Wed, 24 May 2000 18:57:39 +0900

こんにちは、葛貫です。

佐川さん【2016】:
>で、子供の死亡率が低くなる7−8歳までは、あの世とこの世の境界
>に漂う、儚い存在という意識が、かつての日本において広く持たれて
>いたようです。
>もし、ヨーロッパにおいてもそのような意識が持たれていたのなら、
>“it”は「儚い存在」を指している、とも解釈できます。
>#私の勝手な解釈ですが。

自分の思い込みの中で、「it なんて言うと、まるで物扱いじゃん!!」
と、目くじら立てていました。背景を教えて戴き、そのような意図がなか
ったことがわかりました。ありがとうございました。

>そもそもかつての村落共同体的な社会においては、子供
>をheやsheとして扱う事なんて無かったはずです。

はい。
そのような扱いを受けて不満を感じる素地がなかったんでしょうか。
「自意識」というのはもともとあるものではなく、「自意識」という言葉を
知った後に、生じるものなのでしょうか。

>#つまり、「人格」というフィクションを日本に移植しようとする試み
>#は、未だに成功しないわけです。

「人格」という概念が皆無だったら、それはそれで仕合わせなのかもし
れませんね。

>それで、なぜ「ムカツク」の一言で総括してしまうのかというと、それ
>以外に適当な言葉が無いのと、それが彼らの「気分」に“ハマって”
>いるからで、彼らのうちに湧いてくる感情は伝統的な“怒り”や“悲し
>み”とは微妙に違うからだと思います。

彼らのうちに湧いてくる伝統的な“怒り”や“悲しみ”とは微妙に違う感情を
総括する「ムカツク」という言葉が、あちらこちらで言われるようになって、
安心してむかつける(?)ようになった、「ムカツク」という言葉が、むかつく
現象を助長しているようにも感じられます。

今、「学級崩壊」と呼ばれる状況に、名前がつけられなかったら、これほど
大きな問題になっただろうか、名前が付けられたことにより、「うん、これは
学級崩壊なんだ」と、安心して学級崩壊を起こせるようになったのでは、
「名前」をつけることにより、滞っていたエネルギーのはけ口が与えられるの
ではないかと、思われます。
どのようなイメージ、方向を喚起する「名前」を与えるかということは、ものす
ごい影響力を発揮するのかもしれません。
(恐るべしコピーライター)

ではでは。



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