[BlueSky: 1935] Re:1923 人類愛


[From] Toshioki Suzuki [Date] Sat, 29 Apr 2000 23:19:09 +0900

小宮さん、みなさん、今日は。

> 新訳聖書では以下のようになっていました。
>
> 「あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じら
> れている。しかし、わたしは言っておく、敵を愛し、自分を迫害するも
> ののために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父
> は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも正しくない者にも雨
> を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところ
> で、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも同じことをしてい
> るではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたこと
> をしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
> だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完
> 全な者となりなさい。」
>                    ーマタイによる福音書

キリスト教を信仰する国で、この事を実践できている所は果たしてあるのでしょ
うか?
過去の、そして今現在の国際情勢を見ても、他の国に対して強い力を示し得、
なおかつキリスト教をベースにしている国々に、この教えがあるとは思えないの
です
が。まるで気に食わない相手(異教徒)は力でつぶしてしまえるとでも考えてい
るかのようです。核を含む様々な兵器はそのために存在しているとも考えられま
す。キリスト教を信仰する人々の中でさえ武力衝突があるのですから。

>キリストは、完全にすべての人を愛する人類愛を説いていました。

この場合の「すべて」とは、「キリスト教を信じる」という前置きがつくのでし
ょうか。それとも原始宗教を始めとした異教徒も含むすべてでしょうか。


「地球市民」という言葉を良く聞きますが、もともとこの発想はキリスト教的な
考えをベースにして生まれたものかと思います。ですから、日本やキリスト教文
明圏だけではなく、他の文明圏(たとえばイスラム)に対してもア
ピールしうる言葉とはあまり思えません。
コソボやチェチェン・インドネシアの話を見聞する限りでは、キリスト教やイス
ラム教・儒教など宗教観の異なる文明どうしが「地球市民」として手を取り合っ
ていく事はかなり難しい事のように思えますが。

「みんな仲良く」という方向も必要かもしれませんが、違いがある事(解消され
ない事)を前提にどうしたら良いかを考える事のほうがより現実的かと思いま
す。

なお、これは決してキリスト教批判ではありません。念のため (^_^;)

鈴木@タルカ


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