[BlueSky: 193] 科学技術への負の態度 Re:182 ターザンごっこのできる町


[From] Ken Goto [Date] Tue, 27 Jul 1999 23:50:26 +0900

和尚さん、青空MLのみなさん
後藤@帯畜大です。

「科学技術への負の態度」の社会的要因についてがメインテーマです。

(1)Science & Technology と科学技術
(2)科学の発展と想像世界の変質
(3)「科学技術への負の態度」の社会的要因
(4)闇と光のリズム(?)

*******************************************************

(1)Science & Technology と科学技術

和尚【182】:
>  科学と技術を分けて論じる人がいますが,これは実質上無意味だと思います。
> もっと素朴に「科学する心」のような探求心を言う場合は別でしょうが,私たちが
> 職業として行っている科学は当人の希望の有無に関わらず技術に直結します。
> ですから,私は科学と技術は常にセットで考えています。

確かに直結する分野もあるでしょう。しかし、生態学とか分類学とか、僕の専門
の生物リズム学とか、、、技術とは直結しない分野もたくさんあります。ざっと、
両者の違いを思い付くまま列挙しておきます。

科学 技術

プロセス 知識の発見・創造 モノ(道具)の発明・創造
結果 知識、法則 モノ(道具)
社会的利用 文化(世界観) 産業、生活の道具
(好奇心)
その他
両者の関係 技術(測定機器)に依存 科学の応用(近代技術のみ)

日本語で言う科学技術は、恐らく、science & technology の訳語なのでしょうが、
一般庶民の語感としては、近代技術 technology(日々の家電製品等々とそれに関
連した、もやもやとしたなにか)に近いのではないでしょうか?

また、科学技術に直結する科学分野は各種援助金が潤沢ですが、そうでない科学
分野(一部、ビッグサイエンスを除く)は冷遇されてきたのが常態です。

また【186】のような議論では、両者を厳密に区別しないと、混乱の素になり
ます。


(2)科学の発展と想像世界の変質

和尚【182】:
>  そこに光が灯ったとします。光の中では闇は遠ざけられ,照らし出された世界を皆が
> 共有します。光によって闇の世界から,確かな知識を一つ手に入れ,同時に無数の
> 想像の世界を失ったのです。
>  やがて人間は灯す光の数をどんどん多くしていったとしましょう。もう闇などどこにもない。
> 遠からず世界の全てを知ることが出来る。近代以降,文明の名の下に犯した私たちの
> 数々の過ち(環境破壊もその一つ)もこの様な意識状態から引き起こされたのでしょう。
>  しかし本当でしょうか?原初の闇は無限だったのです。無限から有限を引いてもやっぱり
> 無限が残るのです。

確かに想像力溢れる比喩で、楽しいです。
科学者にとってはいつまでも「無限が残」っている筈なのに、一般社会ではそう
は受け取られなかった、ということですね?

ただ、僕は、科学者以外の場合でも、「無数の想像の世界を失った」とは思えま
せん。文学や芸術の世界(全くの門外漢ですが)が衰えているようにはどうして
も思えない。

・例えば、月のウサギの餅つきは、科学的にはばかばかしいけど、ファン
タジーと、してはまだ生きている(か、生きうる)というようなことな
のですが。

・どんなに科学知識が膨れ上がり、より深く自然を理解するようになって
も、科学者はそこに新たな「謎=神秘」を見つけて解明の努力を行うよ
うに、科学外の人も習得した知識のレベルにおいて、さまざまな謎を抱
くもの(少なくとも旺盛な知的好奇心をもつという人間本性としてのポ
テンシャルとしては)と思います。

・この点で、古代人と現代人とが異なるのは、(知識体系が違うことに起
因して)「見える」世界が違う、ということにある、と思うのです。

もう一つの点は、「私たちの数々の過ち」は、経済至上主義とか自然征服思想
(技術万能論とか)とかが基本要因であって、科学(知識の発見・創造)の問題
ではない、ということです。西洋科学は自然征服思想に由来しますけれど、「無
知の知」の無知も、西洋科学というよりは自然征服思想に由来するものだと思い
ます。そして、この自然征服思想を拠り所として「技術の進歩」を経済至上主義
的に推進してきた。

和尚【182】:
> ちっぽけで賢しらな知識で,都合良く世界を推し量った結果が今の
> 問題山積(地球の気候変動と人口増加による食料逼迫,その結果起こる更なる環境破壊,
> 経済性のみを重視して脳天気にばら撒かれた多くの人工化合物の問題は既にお話し
> しました)です。これは,有限の知識をもって無限の想像世界に替えた行為です。
>  複雑さは減少していないでしょうか?
やはりここは、純粋知の世界(科学)と、実力行使の世界(経済と技術)は分け
て論じないと、スッキリしません。


(3)「科学技術への負の態度」の社会的要因

> >和尚の前段四行にわたる状況説明と「容易に解けない」理由の意味が、僕にはう
> >まく理解できませんが、個人の社会的力の減少に伴う、社会的存在感の減少、社
> >会的無力感の増大は、明治維新以来、わが国でも着実に進行して来ていると思わ
> >れます。
>
>  後藤さんの水平的多様性の減少についての分析には私も同感です。
>  ただ,私が「容易に解けない」として申し上げたかったのは,中高生の方々が感じる
> 現在社会が,唯一の正解を要求する厳密な世界ではないかという私の個人感覚です。

う〜ん、高校生の御意見をお聞きしたいところですね。

>  そういう厳密な世界(これは現在科学の得意とするところですが)では,高度に論理的
> 思考や厳密な知識をベースにした洞察力を必要とします。残念ながらそう言う教育を
> 彼らは受けていませんから,解答困難→「世界は複雑」→科学技術への負の態度へと
> 繋がったのではないかと考えています。
>
>  興味深いのは,その解答困難感覚が容易に思考停止状態に至り,誰かが作った超自然
> イメージいわゆるオカルトの世界への親和性→ますます思考停止という悪循環を生んで
> いるようです。

和尚の問題意識のありかは分かるような気がします。

でも、例えば、「解答困難」という把握であっても、そこから導かれるのは「逃
避」だけではなく「挑戦」である場合もあるわけです。また、「世界は複雑」と
思う人が「科学技術への負の態度」へ「短絡」する場合が仮にあるとしても、そ
れは、その人が「世界は複雑だ」と認識しているからではない、と思います。

実際、こどもは成長に連れて、「住む」世界をどんどん広げていきます。そのた
びごとに、こどもにとっての世界は複雑さを増していきます。こどもにとって世
界はますます御しがたくなり、、、終には「おとなの知恵」をつけて妥協してい
く。

・・・う〜ん、ちょっと、和尚の論点とずれてしまったかな? で、もう一度和
尚のお言葉を引用させて頂いて、

和尚【136】:
> 例えば「価値観が多様化している」とよく言われますが,実際は逆で,多様な
> 価値は用意されているが,それへの対応はむしろ単調,極端な話,「是か否か」
> です。用意された価値観(パターン)に合っていなければ即棄却される世界で
> 非常に窮屈に感じられます。
>
> そのような適応困難な世界を高校生は,「容易に解けない」と言う雰囲気で,
> 「複雑」と表現しているのでしょう。実状はむしろ,人間社会は複雑性を失い,
> それと同時に柔らかさや強かな復元力を無くしかけていると思います。

やはりちょっと理解できないので(「解答困難」なので)、問題は確かに「複雑」
に見えますね。それで、ちょっと視点を変えてみます。

問題は、「科学技術への負の態度」はどこに由来するか、という点です。和尚は
それを、科学技術による価値一元的世界の単調性、或いは「自由度の減少」に求
めている。

・・・「自由度の減少」という点でみると、僕の代替案である「社会的無力感の
増大」とほぼ一致しているようです。ただ、どちらも「科学技術への負の
態度」の社会的要因としては物足りないように思います。

「科学技術への負の態度」の社会的要因としては、和尚や僕が青少年期をすごし
た高度経済成長時代の「押せ押せムード」は、今はありません。かえって、原発
事故や環境汚染など、負のイメージがまとわりつくようになった。前のメール
【155】にも書きましたが。

そこには書かなかったこととして、今思い付くのは、今の子どもたちにとって、
モノ(科学技術の産物)は溢れかえっている、という現実です。モノは苦労しな
くても親がふんだんに買い与えている。でも、虚しい(モノで満たされても、満
たされるのは退屈心であって、愛情でも創造意欲でもない)。だから、モノに対
しては非常にクールな気持ちをもっているかもしれない。

   どうですか? ===> 若い方々へ

これに比べると、僕の子供の頃は、モノ(科学技術の産物)を手に入れるには苦
労したし、玩具も自分たち自身で作るものがいっぱいあった。モノに対しては今
よりずっと主体的に対峙していた、ということになります。この意味で、理工系
にすすむための「体験」を幼児期から積み重ねて育ったわけです(もちろん、い
つの時代にも個人差はあります)。

この辺りの事情も、現代における「科学技術への負の態度」の強まりに関係して
いるでしょう。

以上、和尚の問題意識とはずれっぱなしで、ごめんなさい。ただ、
確かに、「自由度の減少」=「社会的無力感の増大」と「科学技術への負の態度」
は(少なくとも高度経済成長以降は)並行的な社会現象のようです。が、僕には
この両者の因果関係がまだ理解できません(というか、並列的現象であって、そ
れぞれに別の社会的要因が働いているのではないか、と考えていることになりま
す)。

(4)闇と光のリズム(?)

和尚【182】:
>  誠に皮肉なことですが,闇を照らし出す筈の科学の知が,適切な教育を怠ったために
> かえって心の中に内的闇を作り出しているのです。
>
>  念のため言っておきますが,私は科学技術否定でも,原始生活礼讃者でもありません。
> 私たちや,次世代が直面する問題の多くは残念ながら私たちの世代の想像力の欠如
> によって引き起こされた可能性が高いと申し上げたいのです。今まで手にした科学的
> 知見の多さを誇るなら,同時にそれと同等以上の注意力を未だ見ぬ世界に向ける必要
> が有ります。そこで働くのは,今でもやはり想像力ではないでしょうか。
ここは、特に後半部は、全く同感です。

>  夏の夜,原始の闇とそこで不安がるひ弱だった人間の姿を想像して見ませんか・・・・
>  科学技術の使い方を考える良い機会になるかも知れません。

そうですね!科学技術が進めば進むほど、私たち自身は、(一個人として)どん
どんひ弱になっていきますしね。和尚は真っ暗な闇の中で、何がしたいですか?
う〜ん、日本の和尚にこんなこと聞いちゃイケナイな。


後藤 健
=========================
帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612

★★★ 青空ML過去ログの全文検索は便利ですよ(↓)。
http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/bluesky2.html


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。