[BlueSky: 1928] Re:1923 人類愛


[From] can32960@pop07.odn.ne.jp (yuichiro) [Date] Sat, 29 Apr 2000 09:59:25 +0900

>そういえば、聖書にも「汝、隣人を愛せ」という言葉がありますね。

新訳聖書では以下のようになっていました。

「あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じら
れている。しかし、わたしは言っておく、敵を愛し、自分を迫害するも
ののために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父
は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも正しくない者にも雨
を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところ
で、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも同じことをしてい
るではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたこと
をしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完
全な者となりなさい。」
                   ーマタイによる福音書


キリストは、完全にすべての人を愛する人類愛を説いていました。さて、
自らの本能からくる傾向的な愛でなく、人類総てに対しての実践的な
愛(自分の本能に逆らっても、理性で人を愛するよう勤める)というのは、
世界平和を得るための鍵になれるでしょうか?自分がそれを実践しよう
とした場合、例えそれが[1917]で僕が間違ったように単に利己的な原因
からなされるものであったとしても、その効果は大きいと思われます。
自分の傾向的な感情というのは、あまりにも不確かで間違いが多く、単
に考え方が違うというだけで、その人に対する嫌悪の情を誘起します。
憎悪や嫌悪の感情は、簡単に他人に対する誤った判断に結びつきますか
ら、感情のみに頼ると、人を先入観で間違って判断する場合が多いと思
われます。ですから、実践的な愛というのは、少なくとも本能的な傾向
に任せるよりは、他人を正しく理解する助けになると思います(そもそも
実践的な愛というのは、このように利益を求めるようなものではないと
思いますが)。

今、世界中に地球人類を何回も滅亡させることができるほどの兵器があ
りますが、これは全て他人の心を疑う所から来たものだと思います。も
し相手が絶対に使わない、とするのならば、わざわざ自分も抑止力のた
めの軍備などする必要はありません。核軍縮を進めるには、他国の人の
考え、異文化の理解が絶対必要だと思われます。そのために、実践的な
愛というものは大きな力を発揮するかもしれません。

#岩本さん、こちらこそよろしくおねがいします。

#明日からしばらく家をあける予定です。
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小宮 祐一郎
メールアドレス:can32960@pop07.odn.ne.jp


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