[BlueSky: 155] Re:136 ターザンごっこのできる町


[From] Ken Goto [Date] Thu, 22 Jul 1999 17:37:13 +0900

紺野さん,和尚さん、青空MLの皆さん

和尚【136】:
>
> > 紺野さん【134】:
> > 高校生の半数「科学は世の中を複雑にする」  若者の理科離れ
> >国立教育研究所調べ 1995年と98年の比較
> >  「科学の発明は世の中をあまりにも複雑にしてきた」47.9%(14.4%増)
> >  「科学的な発見は益より害を多くもたらす」38%(7.3%増)
>
> これは多分にマスコミのプロパガンダが効いているのではないでしょうか。
> 実際,科学のしていることは世界を複雑にするのではなく,複雑な世界を
> 単純にして理解することですから。
>
> 私の印象では,科学技術の発達は世界から複雑さを奪っているのでは?
> と考えています。つまり,複雑性を容認できなくなってきているのではないかと。

科学は真理の発見(知識や法則の発見)。いわゆる「科学技術」はテクノロジー
という響きのある言葉で、「科学」とは大きく質の異なる言葉になっていますね。

  「科学の発明」(↑)という言葉はとても奇異です。

科学は知識を創造して来ていますから、知的行為レベルでの「複雑度」や「知の
多様度」は(西洋的知の世界総体として)着実に増加してきた、と思います。た
だし、人類総体としての「知の多様度」は逆に減少して来ているのでしょう(主
として西洋文明の侵略による土着民族文化の終焉などをイメージしています)。

和尚【136】:
> 例えば「価値観が多様化している」とよく言われますが,実際は逆で,多様な
> 価値は用意されているが,それへの対応はむしろ単調,極端な話,「是か否か」
> です。用意された価値観(パターン)に合っていなければ即棄却される世界で
> 非常に窮屈に感じられます。
>
> そのような適応困難な世界を高校生は,「容易に解けない」と言う雰囲気で,
> 「複雑」と表現しているのでしょう。実状はむしろ,人間社会は複雑性を失い,
> それと同時に柔らかさや強かな復元力を無くしかけていると思います。

人類発祥の起源から現在までを大雑把に俯瞰すれば、社会の重層的な複合化の過
程が進行してきたのは明らかであるように思います。発祥当時は、小さな群れが
「現実の」完結した社会であった。で、時折、部族どうしのなわばり抗争(戦争)
があったであろう。そのような単純な社会であったと思います。

西洋文明の支配を通じて、人類は、地球全体で一つの社会(国際社会、西洋化社
会)に拘束されるようになってきたわけで、この観点からは、やはり着実に社会
構造は複雑度を増して来ているように思います。ただし、土着社会の固有性とい
う観点からみると、社会の多様度は減少している。

言い換えると、縦のレベル(階層性、重合性)という観点からは多様になったけ
れど、横のレベル(土着文化の多様性、ひろがり)という観点からは一様的にな
ってきた。

西洋的テクノロジーの進展は、日本における土着テクノロジーの多様度も減少さ
せた、という側面もありますね。工場による大量生産の前に、職人がどんどん減っ
てきた。

和尚の「容易に解けない」という文脈に関連して僕が思ったことは、人間一個人
の社会的力(個人行為が及ぼす社会的効果)の減少です。これも、人類発祥のと
きを想定すれば容易に理解できると思いますが、個人ひとりの重みが極端に軽く
なったのが現代社会であろう、と思われます。部族単位で生活していた時代には、
個人と群れとの一体感は極めて強かった、と思うのです。現代人からみれば、
「都会の気軽さ」がない窮屈な側面もあったと思いますが、個人の社会的力は、
群れの存続を握るほどに大きかったといえなくもない、という気がします。

  個人の利己性の「強化」の社会的一因は、個人の社会的力の減少にある、と
  思います。実際、「俺ひとり、車運転しなくなったって、環境がよくなるわ
  けじゃない」という論理が大手を振るっています。

和尚の前段四行にわたる状況説明と「容易に解けない」理由の意味が、僕にはう
まく理解できませんが、個人の社会的力の減少に伴う、社会的存在感の減少、社
会的無力感の増大は、明治維新以来、わが国でも着実に進行して来ていると思わ
れます。

僕は、これは、わが国の中央集権的支配と、西洋社会への組み込みに起因するも
のであろう、と思っています。その道具の一つが、西洋型テクノロジーの進展で
す。

和尚【119】:
> こういう心の荒廃を生む何か,例えば極度に競争的で忙しく,その忙しさを生み出す
> 何でも急ぐ社会を現出させた一因が自分が仕事にしている科学技術ではないかとの
> 思いもあり,その反省も込めて[BlueSky:19]のような表現になったのです。

確かに、西洋型テクノロジー(科学ではなく)は、人間対人間、人間対自然のコ
ミュニケーションを減弱化させてきましたね。子どもの遊びが極めて単純化され
てしまった。この減弱化という観点からすれば、人間行動の単調化という和尚の
観点も理解できます。

で、もう一度話を元に戻して、理科離れ(理工系離れといった方がいいのかな)
の要因について。

西洋型テクノロジーに、負のイメージがつくようになったのはいつ頃のことでし
ょうか?理科の教科書に環境問題や公害問題が載るようになった頃でしょう。そ
れまでは、大勢としては正のイメージしかなかった。1960年代だったかな?
理工系ブームというのは。高度経済成長の時代。

もう一つは、金転がしで生きていけるようになった。
もう一つは、こどもの「忍耐力」や「集中力」が低下したので、じっくり数学や
物理の問題を解く準備ができていない。

なんてことを考えてみました。

ちょっととりとめがないのですが、ここ帯広でもうだるような暑さ。この暑さに
免じて、ごめんなさい。

後藤 健
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生命を考える http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612


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