[BlueSky: 143] re138生態学のアカウンタビリティ


[From] Nagamitsu Teruyoshi [Date] Wed, 21 Jul 1999 12:55:57 +0900

すかさん、おひさしぶり。また、議論に参加していただいているみなさまへ。

> (地域の具体的な自然保護問題について、地元の方とお話しする)
ときにいつも思うのは、そういう地域の具体的な問題になったとき、土地
> に対する権利関係がいかに大きな問題かということ、そして、そういう問題が
> 生態学の研究者がふつうにあつかえる問題領域からいかに遠くへだたったもの
> であるかということです。

私は、自然保護問題の経験はすくないのですが、
農業・林業関係の現場の方とお話しすることはあります。
そこで、すかさんのいわれたような
コミニケーションのぎこちなさをかんじるわけです。
でも、熱帯雨林の写真などをおみせすると、
(熱帯雨林の林冠にたっする木は、50m以上のたかさで、
30mくらいまでは枝がなくまっすぐである)
「この木、枝打ちしなくてもこんなにまっすぐたかくなるの!?」
とおどろかれたりします。
そこから、話がはじまることがあります。
やはり、生態学の一般論ではダメで、
現場の自然をまえにしてコミニケーションをはかっていく
そういう場数をふんでいくことが

> 自分たちの手持ちの
> 札がどういう性格のものであるかを社会に対してわかりやすく説明すること、
> そしてそれらの札のもつ意味を社会的なコンテキストとすりあわせて位置づけ
> る努力

につながるのではないかとおもっています。

自然保護関係ではトラスト運動になるんでしょうが、
農業・林業関係では、自分の事業や所有物をなげうって、
環境負荷をへらしたり自然を保全している方がいます。
その動機となるかんがえかたは、
専門家がきけば、かなりおもいこみにちかいもの、
滑稽で「トンデモな」ものすらあります。

こういう方は、地元でも少数者であり、変人あつかいされやすく、
科学的な根拠づけを、すなわち理論武装をもとめている場合があります。
(こういう場合がすべてではありません)

こういう場合に、どのように研究者がかかわっていくか、
なやみの種なのです。
実践者と地域社会をつなぐ立場としてとして研究者が積極的にかかわっていけば、
地域社会をすこしでもかえたり、貴重な実践を無駄にしないことに
つながるのではないかと私はおもっています。
あるいは、世間しらずな研究者とはべつに
コーディネーターのような立場の人が必要なのかもしれません。

このような分野は、生態学の「応用分野」



▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。