[BlueSky: 1370] Re:1366 科学・技術と社会


[From] yuichiro komiya [Date] Thu, 3 Feb 2000 13:07:46 +0900


須賀 さん wrote:
> そのときわたしは、20歳代後半のある友人と酒をのんで談笑していました。
> 彼は自然科学の専門教育はまったくうけておらず、働きながら小説家をめざし
> ています。けれども彼は、今日の自然科学の宇宙観・世界観にたいへん関心
> をもっており、生命の起源はどこまでわかっているのか、DNAの正体は何か、
> 性はどうやって決まるのか、ハチの社会はどうしてそんな社会なのか、さま
> ざまな要素がつながりあった動的な環が宇宙の姿で、それが「神」だとも
> いえると思うがどう思うか、などときいてきました。わたしはそれにわかる
> 範囲でこたえ、彼もそのこたえをたのしんでいるようでした。
>
> 一方、彼は、「科学」はもう発展しなくていい、ともいいました。電器製品
> なんて、もうこれ以上のものはいらないし、原発や兵器のように、人間にと
> って危険なものも「科学」はいっぱいうみだしてきたじゃないか、というわ
> けです。それに対してわたしは、そういうものは「科学」とはいわない、
> 電器製品や原発などをうみだすのに「科学」の知識は必要だし、無関係とは
> いえないけれども、そういうものをうみだす営みそのものは「技術」といっ
> て区別した方がいい、といいました。日本が近代化のために「科学技術」と
> ひとまとめにして輸入してきた歴史を残念に思うともいいました。すると
> 彼は、露骨に反発をしめしました。そんなのはことばのうえの区別であって、
> 実際にはひとつながりのもののはずだ、そんな専門家のいいのがれみたい
> なのは好きじゃない、と言いました。
>
> そこでわたしは、最初の話題にもどりました。わたしが「科学」といった
> もの、すなわち知的好奇心にもとづいて自然界の姿をときあかし、宇宙に
> おける人間の位置を探求するような営みを、「科学」といわずに「哲学」
> とよぶことにしたらどうか、そしてわたしが「技術」といったもの、すな
> わち近代社会をつくりだし電器製品などをうみだしてきた営みを「科学」
> とよぶことにしたらどうか、そうすればこの「哲学」と「科学」の区別は
> うけいれられるか、とたずねたのです。すると、それならわかる、と彼は
> よろこんで賛意を示してくれました。

本当にこの小説家の方の意見に共感できました。僕も、いつも
これ以上科学は発展しなくていい、と思っていました。子供の
頃は、科学の発展のおかげですばらしい未来、誰もが幸せに、
快適に暮らせる未来都市に住める日が来る、なんて思っていた
のですが、時代が進み、科学の発展の様々な代償、エネルギー
枯渇や地球温暖化、様々な環境破壊、が見えてくるにつれて、
もうこれ以上科学なんて発展する必要ないじゃないか、こんな
に十分な生活をしているのに!なんて思うようになりました。
それでも毎年新製品が出るし、技術の進歩は加速度を増して行
く。企業は利益を得るために、何の不自由もなく暮らしている
途上国の人達にまで電気製品を押し付けにいく。技術の開国を
押し付ける、まるで昔のペリーの黒船のようです。要は、自分
達の快適な生活が、結局誰かの、何かの生活を犠牲にして築い
ている、ということに気付いたから嫌になった、ということで
しょうか。自分が便利な生活をするために、膨大なエネルギー
を使って、途上国の人達の生活、未来の人達の生活、様々な生
物達の生活を犠牲にしている、そんな意識を感じるようになっ
たのです。

また、科学が発達して世の中が便利になるにつれて、人の心も
ますます荒んできたように思えます。様々な青少年犯罪、公務
員の汚職や性犯罪、カルト集団の濫立、どうも僕には、これら
が技術の発展のせいで個人の欲望が増している結果、人が自分
を自制できなくなったからではないかと思えてならなかったの
です。どんなに素直な赤ちゃんでも、生まれた時から望むもの
全てを手に入れられる環境で育てられれば、最後はネロのよう
な暴君になるでしょう。現代の技術の進歩は、そういった傾向
を増長させている感があります。ですから、本当に、科学の発
展はもういいじゃないか、と思っていたのです。

しかし、このMLでいろいろな話を伺って、僕も科学、特に生物
学関連の本を読み出したのですが、それは本当に素晴らしい世界
でした。今まで知らなかった、生物の神秘、生命の不思議。それ
までは虫を見てもなんとも思いませんでしたが、あのちっぽけな
アリが、ハチが、なんと素晴らしい、洗練された社会的生活を営
んでいることか!葉っぱをちぎって畑を作り、アブラムシ(?)の
幼虫をつれてきて共同生活する。自分達の種(遺伝子?)を守るため
に自分の命を捨てて巣を守る。それは想像もつかないような世界
でした。もちろん虫だけでなく、様々なその他の生物も、暗闇の
中で虫を捕らえるために超音波を出してものを「見る」ように
なったコウモリや、生きていくために自分の身体を適応、進化さ
せていった様々な肉食動物、草食動物、社会的生活を営むために、
情報処理能力の端末を発展させた類人猿、それらの美しい進化の
姿は、本当に自然の力の凄さを感じさせてくれました。

また、僕自身さえ、どんなに気の遠くなるような時間をかけて自
然淘汰されて生き残ってきた、自然のデザインの結果であるかを
思い知りました。単なる単細胞生物から、こんなにすばらしい、
センサーや運動機関、動力、情報端末を備えたものが生まれたな
んて、本当に信じられません。(このことを知ったら、誰でももっ
と生命というものに対して恩恵を払うようになるのではないで
しょうか。生物学は小学校の重要な必修科目にするべきだと思い
ます。)これらを発見してきた科学というものは、人類の文化や、
価値観、考え方にも大きな影響を及ぼし、様々な功績があると思
います。それは本当に哲学といっていいものだと思います。それ
は、自分をコントロールできなくて自信を失った人間に、生きる
力を取り戻させ、自然への尊敬と畏怖を回復させ、人類と自然の
共存への道を示すこともできると思います。

今は、昔のように科学の発展はやめるべきだ!とは思いませんし、
これからもいろいろ勉強していきたいと思っています。しかし…
常にその科学発展の影の部分も忘れてはいけない、とも思ってい
ます。







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