[BlueSky: 1366] 科学・技術と社会


[From] "SUKA, Takeshi" [Date] Wed, 2 Feb 2000 18:27:28 +0900

須賀です。

evolveという進化生物学のメーリングリストがあります。そこで科学と
社会の関係をどう考えるかというテーマについての議論がおこりました。
そこにわたしも投稿したところ、それを読んだ中澤さんから、BlueSky
でもとりあげましょうとそそのかされました。

科学・技術と社会の関係のありかたについては、BlueSkyでも193,222,
250,254,265,273,281あたりでとりあげられています。そこでは科学
と技術は区別するべきだ、いや、実際にはできないしそんな区別は社会
では通用しない、といった議論を軸にやりとりがかわされました。

わたしは、自分の投書した内容がそれほど新しい内容をふくんでいると
は思っていなかったのですが、せっかく中澤さんがたきつけてくれたの
で、内容をちょっと書き直してここにも投稿します。BlueSkyではどん
なちがったご意見をうかがえるかにも興味があります。率直なご意見を
おまちしています。

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科学・技術は、産業社会をきずきあげるうえで、大きな役割を果たして
きました。しかし一方、そうした物質文明のあり方に対する批判や反省
の動きもでてきました。そうしたなかで、純粋な知的好奇心にもとづく
文化的営みとしての「科学」と産業社会にじかにかかわる分野としての
「技術」を区別すべきか否か、ということがこれまでの議論では問われ
てきました。わたしの論点は、文化的営みとしての「科学」のあり方も
また、将来にむけての社会の選択に深くかかわっているのではないか、
というものです。この論点自体の是非だけでなく、ここからどのような
論点が成長していくのかにも興味がありますのでよろしくお願いします。
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そのときわたしは、20歳代後半のある友人と酒をのんで談笑していました。
彼は自然科学の専門教育はまったくうけておらず、働きながら小説家をめざし
ています。けれども彼は、今日の自然科学の宇宙観・世界観にたいへん関心
をもっており、生命の起源はどこまでわかっているのか、DNAの正体は何か、
性はどうやって決まるのか、ハチの社会はどうしてそんな社会なのか、さま
ざまな要素がつながりあった動的な環が宇宙の姿で、それが「神」だとも
いえると思うがどう思うか、などときいてきました。わたしはそれにわかる
範囲でこたえ、彼もそのこたえをたのしんでいるようでした。

一方、彼は、「科学」はもう発展しなくていい、ともいいました。電器製品
なんて、もうこれ以上のものはいらないし、原発や兵器のように、人間にと
って危険なものも「科学」はいっぱいうみだしてきたじゃないか、というわ
けです。それに対してわたしは、そういうものは「科学」とはいわない、
電器製品や原発などをうみだすのに「科学」の知識は必要だし、無関係とは
いえないけれども、そういうものをうみだす営みそのものは「技術」といっ
て区別した方がいい、といいました。日本が近代化のために「科学技術」と
ひとまとめにして輸入してきた歴史を残念に思うともいいました。すると
彼は、露骨に反発をしめしました。そんなのはことばのうえの区別であって、
実際にはひとつながりのもののはずだ、そんな専門家のいいのがれみたい
なのは好きじゃない、と言いました。

そこでわたしは、最初の話題にもどりました。わたしが「科学」といった
もの、すなわち知的好奇心にもとづいて自然界の姿をときあかし、宇宙に
おける人間の位置を探求するような営みを、「科学」といわずに「哲学」
とよぶことにしたらどうか、そしてわたしが「技術」といったもの、すな
わち近代社会をつくりだし電器製品などをうみだしてきた営みを「科学」
とよぶことにしたらどうか、そうすればこの「哲学」と「科学」の区別は
うけいれられるか、とたずねたのです。すると、それならわかる、と彼は
よろこんで賛意を示してくれました。

つまりここには、「科学」という単語に対するイメージの大きなへだたり
があります。しかしことばをおきかえることによって、「科学」の2つの
側面の区別を理解してもらうことはできたのです。さらにその彼は、科学
の「哲学的」側面に対して、たいへん好意的な関心をもっていました。

このやりとりを一般化しすぎることは危険かもしれません。けれども好き
かきらいかは別として、科学があきらかにする自然界や人間の姿を理解し
たい、それは現在の世界に生きることにとって知的に重要な課題であるに
ちがいない、と考えているひとびとは少なくないのではないか、とわたし
は推測しています。実際、それは重要な課題です。

わたしは、仕事の必要もあって、保全生物学という学問を勉強しています。
保全生物学とは、生物圏に対する人間活動の影響を研究し、そうした生物
環境を保全する実際的な方法を開発するための学際的科学です。わたしは、
保全生物学にもまた、うえにのべたような社会の知的要求にこたえざるを
えない側面があると考えています。保全生物学にもとめられているのは、
単なる技術的な解決だけではなく、自然と人間の関係のありかたの理解の
ような領域をふくんだ、より総合的な解決の見通しの提示ではないでしょ
うか。もちろん、それが一律に生物学的(ダーウィン的)世界観を異文化
におしつけるようなことになっていはいけませんし、そのようなローカル
なとりくみにおいては、固有の文化的背景を尊重し、そのひとたちが自分
で自分たちの将来を選択できるようにするためのさまざまな知恵が必要に
なると思います。しかしそのことをみたしたうえでも、人間と自然界、
人間と環境の関係のあり方について、「世界観」の領域ではたらきかけを
おこなう側面がでてくるという認識は必要だと思います。

このように考えれば、科学・技術と社会の関係には、産業の役にたたない
純粋な科学と産業にむすびついた技術、といった区別だけではとらえきれ
ない問題の大きなひろがりがのこされているのではないでしょうか。


Takeshi SUKA
Nagano Nature Conservation Research Institute (NACRI)
E-mail: suka@nacri.pref.nagano.jp
Takeshi SUKA
Nagano Nature Conservation Research Institute (NACRI)
E-mail: suka@nacri.pref.nagano.jp


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