一ノ瀬(尼崎市)です。
私のつたない発言に、多数のコメントありがとうございました。
時間がなくて十分なお答えができません。
須賀さんへの返事のみ書きました。
ある程度、他の方へのお答えにもなっているかと思います。
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須賀さん<
横山さん、葛貫さんがおっしゃったのは、公共事業が「土建救済」だけで
なく、そのお金が流れることで間接的に経済の他の部分を活性化する要素
をもっているので、急にやめることには危険がともなう、ということでは
ないか、とわたしは理解しました。
>
論点の整理ありがとうございます。
私は、まさに、この認識の前半部分に反対しています。
一部分を活性化するのみで、別の部分を冷やしています。
「経済全体では、実質のメリットなど無いのだから、出来る限り早く止め
てしまうべきだ」
が、私の主張になります。
この場合問題になるのは、現在土建業で働いている人たちの雇用問題で
すが、転職させるしかありません。公的支援を行っても良いと思います。
既に述べたように、いつまでも、公共事業で雇用を維持しつづけること
などできません。
できないと分かっているのならば、できる限り早く対策(転職支援)に
着手すべきなのです。国の財政に余裕のある内に。
以下「公共土木事業に、メリットなど無い」という理由を説明します。
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「1000億円の公共事業」というと巨額すぎてピンときませんから、身
近な例に置き換えて考えてみるとよいと思います。
1000億円の原資は、結局は税金ですから、国民一人あたり1000
円になります。
もし、この1000円を減税に回せば、私たちの手には、1000円の
お金が入ります。
家計の貯蓄率を10%程度と見ると、900円が消費に回ることになり
ます。
この部分のお金は、当然経済を活性化させます。
1000億円を社会保障に回した場合、収入が低い家計では、貯蓄率は
平均を下回りますから、消費に回り経済を活性化する効果は、もうすこし
大きくなります。
1000億円を公共事業に使う場合、輸入などの形で、国「外」経済を
潤す部分をのぞいた残りは、国内に流れます。これも大ざっぱに90%が
国内に残るとすると、一人あたり900円のお金を使ったのと、金額的に
は同じことになります。
結局、お金を国民に持たせて自由に使わせても、それを巻き上げて公共
事業に使っても、量的に経済を潤すという面では、あまり差がないのです。
ただし、一つ大きな違いがあります。
公共事業を行った場合は、私たち個々人の消費が900億円分少なくな
ります。すなわち、貧しくなることを意味します。公共事業に関係しない
GDP比90%以上の経済活動は、このあおりを食って、売り上げを減ら
し、雇用を減らすことになります。
だからこそ、私は、「雇用確保を目的とした公共事業」などというもの
には反対なのです。
実際には、今の公共事業は、税金と言うよりは、国債による借金で資金
を賄っています。
要は、将来の収入の前借りをしているだけですが、とりあえず前借りし
た分、当面の金回りは良くなります。
が、それは「公共事業」のおかげではなく、「借金」をしているからに
すぎません。(横山さん、葛貫さんは、この部分で誤解があるのではない
かと思います。)
この場合でも、借金で得た金を、社会保障や減税に回した方が、国民は
豊かな生活を送れます。
(しかも、日本の豊かな自然は、破壊されずに残る)
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ただし、ここまでの議論は、経済成長がないことを前提にしています。
公共事業によって、(借金返済のマイナス分を加味した)「正味」の経
済成長が見込める場合は、それは”公共投資”であって、実施することで
国民は豊かになります。
このような例としては、たとえば、昭和30〜40年代頃の、東名高速
道路などの建設があげられるのではないかと思います。
東名高速道路は、日本のモータリゼーションを促進し、自動車産業の売
り上げを伸ばし、経済成長に大きく寄与したはずです。
逆に、山間僻地を結ぶような、平成の高速道路建設には、このような効
果は期待できません。
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失業者があふれる現状を何とかしようとするならば、ある程度の経済成
長率は、確保する必要があります。
そのためには、公共事業も、成長を期待できる新産業の立ち上げを支援
するものでなくてはなりません。
40年前には、それは、土建であったかもしれません。
でも、今は明らかに違います。
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