[BlueSky: 1352] Re:1351 雇用対策としての可動堰


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Mon, 31 Jan 2000 11:53:30 +0900

こんにちは、葛貫です。

一ノ瀬(尼崎市)さん:

>横山さん
> 100−25=75という小学校の算数の様に出来ていないのが社会です。

> 同じ意味のことを、葛貫さんも指摘しておられますが、こう言うのを、枝
>葉末節と言います。

今、日産の村山工場の閉鎖に伴う、地元経済の崩壊が懸念されています。
一つの会社のたった一つの工場の閉鎖が、地元にどれだけの影響を与え
るか、想いを巡らされたことがありますか?

> 私は別に、<急激な一種の「革命」のような社会構造の変化>(葛貫さん)
>等を主張した覚えはありません。

一ノ瀬さんに、そのような意図がないことは、わかります。
でも、佐川さんが仰しゃっているように
>私たちが生きる“超産業社会”では、悪意がなくても、もっと言えば良心に
>もとづいた行動であっても、“結果として”重大な損失を私たちにもたらす
ことが起きる可能性も十分に考慮した方が良いのではないか、ということ
です。
横山さんも、決して問題の先送りを薦めていらっしゃるわけではないように
思われます。

今回の堰の建設は、徳島市の住民投票では反対の結果が得られました。
更に県・国へと、情報公開と地元の民意に反する公共事業の中止を求め
る運動は広がって行くでしょう。それは、とても、望ましいことだと思います。
でも、選挙が行われ、蓋を開けて見ると、従来とそれほど変わらぬ結果に
なってしまったとしたら、それもまた「民意」だということです。

私は、クリスチャンではないのですが、「奴隷であったユダヤ人をエジプトから
脱出させたモーゼは、すぐに新しい国をつくるのではなく、40年間、それらの
人を引き連れ荒野を彷徨った。エジプトから脱出し、良い生活をできると思い
込んでいた人の間には、不平不満が募り、離反者も沢山でた。内部崩壊の
危険をおかしても40年間彷徨ったのは、奴隷であった経験がある世代、奴
隷ミームを持った世代が去って行くのを待った、荒野で生まれ育った「奴隷で
あること」を知らない世代が育つのを待ったのだという解釈がある」という話
を聞いたことがあります。

誰もが、一ノ瀬さんのように、
> 私は、車は持たない、豪華な服は一切持たない、狭い部屋では暖房すら使
>ったことがない、髪の毛も自分で散髪する、アクセサリーなど論外、という、
>20世紀的な意味では非常に質素な生活を送っています。が、一方、比較的
>環境負荷の低い分野で、自分の趣味に応じてかなりの金を使っているので、
>貧しい生活を送っているとは感じていません。
であるとは、限りません。
土建国家を作り上げて来た世代が、まだ現役で世の中をしきっており、土建
ミームを振り撒いているのが現状です。一ノ瀬さんと、同じ想いを抱かせるの
は、一朝一夕にできることではないでしょう。残念ながら、確固としたヴィジョン
を持ち、引き連れている人達の不平不満をおしても、したたかに、忍耐強く、
望ましい方向へ社会を引っ張って行ける政治家もいないようです。
今のところ、説得力のある代替案を模索し提示すること、教育によって土建
ミームに対抗することが地道な方法であるように、私には思われます。
いろいろなやり方があって、いいのでしょう。
理想を唱える人と、それを支える地盤を作る人を、上手に連携させることが
できれば、一番いいのでしょうけれど。




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